書籍・雑誌

2009年1月22日 (木)

不機嫌な赤いバラ

先日、暇つぶしに書店をフラフラして、何冊か本を買った。

その中に「夏の名残の薔薇」 (恩田陸)があったが、今回もそうなのだけれど、

私はこの人の本は、かなりの確率でタイトル買いをしている。

初めて買ったのが「三月は深き紅の淵を」で、次に選んだのが「象と耳鳴り」

その後何冊か読んだはずだが、タイトルに惹かれて読んだ前記二冊の印象が強い。

短編集である「象と耳鳴り」は特に好きで何度も読んだ。

象と耳鳴り
恩田 陸
4396631588

さりげなく静かな情景の中に立ち上がってくる謎に、思わず心惹かれる心地よさがあり、

推理小説としての面白さのみではなく、言葉の選び方がとても好みにあっている。

その中に「曜変天目の夜」というタイトルの一編がある。

私は曜変天目という言葉自体を知らず、この小説で初めて知ったのだけれど、

この想像力を掻き立てる魅力的なタイトルがとても印象深い。

「夏の名残の薔薇」はある映画のイメージを重ね合わせて物語が進められるため、

たびたびその映画のシーンが原作でもシナリオでもない、散文のような形で挿入される。

そのような流れで書かれたからなのか、作者の好みによるものかはわからないが、

登場人物たちの台詞の中には様々な映画や芝居についての叙述が見られる。

その中で気になったのは、ある芝居についての叙述で、「ある詐欺師グループの話」で

「詐欺の腕を磨くために作り話をリレーしていく練習」をしていて「聞き手の注意を引き、

なおかつ語り手を信用させるもっともらしい話をアドリブで繋ぐ」

これは恐らくMONOの「約三十の嘘」のことについて書かれているのに違いない。

同じ芝居を観ている人の数は同じ映画を観ている人の数に比べて格段に少ない。

だからこそその共有感覚は特別な思いがする。

そしてこの本を読んでいてふと思い出したのが映画「不機嫌な赤いバラ」

1994年公開のシャーリー・マクレーン、ニコラス・ケイジ出演のコメディータッチの映画

…らしい。

というのは何度も観たいと思いつつも、いつも見逃してしまっているので

内容についてはほとんど知らない。

ただシャーリー・マクレーンが元大統領夫人であるらしく、タイトルが彼女のことを

表しているのだろうことは想像できる。

観たいと思う理由は、内容ではなくこのタイトルだと思う。

そして連想ゲームのようになるが、この「不機嫌な赤いバラ」から思い出すのが

「星の王子さま」に出てくる、王子さまの星に咲く一輪のバラの花である。

星の王子さま―オリジナル版
Antoine de Saint‐Exup´ery 内藤 濯
4001156768

「星の王子さま」を初めて読んだのは二十年以上も前のことになる。

今改めて読み返しても、心に残るのは初めて読んだ時と同じ言葉であったりするのに、

その言葉の、記憶していた以上に切実な響きに驚く。

「砂漠が美しいのはどこかに井戸をかくしているからだよ」

王子さまの小さな星に咲く、高慢で嘘つきで我がままでずるい、そして

「ホロリとするほど美しい」たった一輪の花。

王子さまとその花の関係の切なさに。

王子さまとキツネの刹那的ではあるけれども確かな心の交流に。

王子さまと航空士の別れの、胸が締め付けられるような寂しさに。

それら全てに自らの心情を重ね合わせることが出来る。

「ぼくはあんまりちいさかったから、あの花を愛するってことがわからなかったんだ」

王子さまがそう言って逃げ出した花の元へ再び戻っていったように、

「あの花を愛する」ということ、そして「不機嫌な赤いバラ」は他者のみならず

自分の中にもあることに気づかされる。

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2008年2月24日 (日)

死神の精度

死神の精度 (文春文庫 (い70-1)) 死神の精度 (文春文庫 (い70-1))
伊坂 幸太郎

文芸春秋 2008-02-08
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伊坂幸太郎の「死神の精度」が文庫本になっているのを見つけ、早速手に入れる。
彼の小説は続々と映像化されているが、
この「死神の精度」も金城武主演で映画化され、3月に公開されるらしい。
映画の宣伝が本の帯でかけられていた。
金城武はミュージックをこよなく愛し、人間の世界にいるときは
必ず雨に降られる死神の役だ。
ミュージックというキーワードが伊坂幸太郎らしい。
精度なんてものではない、適当な調査のみで、その対象の死を
「可」か「見送り」か決定する死神が、実に死神らしくない。
死神に持たれているごく一般的なイメージとは合わないのだが、
そのなんとも言えず身近なたたずまいが、
むしろ、多少変わった性格と特性を持った人間のように思えてしまう。
それが「床屋が髪を救わないように私も彼女を救わない」という言葉に表されるように
実に淡々とした仕事ぶりでありながら、徹底した非情さを感じない理由でもある。
物語の面白さは登場人物の魅力に左右される。
彼がとても魅力的な死神であることは間違いない。

それにしても
何故、表紙の写真がコンドルズの近藤良平(疾走する男たちのエルドラド)なんだろう?
木の上で近藤が傘を放り投げているのを、下からあおるように
写した写真で、彼の独特の飄々とした風貌は、
映画の彼よりずっと死神らしくて、ちょっと良い感じの表紙だ。
まあ、彼では映画にはならないだろうな。
私は多分観るけれど。

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2007年2月 6日 (火)

村上春樹とダンキンドーナツ

Vfsh0085_1私は読んだ本の食べ物の話ばかりしている…。

                      

                                                                                         

4062749041 ダンス・ダンス・ダンス〈上〉
村上 春樹
講談社 2004-10

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高校生の頃には村上春樹の小説を随分読んだが、 彼の小説を読むと、

決まってお腹が空いた。 登場人物がやたらに食べたり飲んだりしているのだが、

本当に美味しそうで、特にビール好きにはたまらない記述が多かった。

ビールには無関係の年頃なので(今でも殆ど飲めないけれど…)私の記憶に強く

残ったのはパスタとサンドウィッチとドーナツ。

実はその中で今でも気になっていることがある。

ダンキンドーナツだ。

確か「ダンス・ダンス・ダンス」だったと思うけれど、主人公が何度もダンキンドーナツに

通うシーンが出てきた。 ダンキンドーナツはアメリカから来たファーストフード店だが、

何故だかわからないけれど彼は頑なに通っている。

美味しいんだかそうでもないんだか、全く説明はないけれどそれでも通う。

彼がそこまで通うダンキンドーナツに私も一度いってみたいと思うけれど、

私は本物の店舗を見たことがない。

先日職場の同僚とダンキンドーナツの話になった。 彼女も村上春樹の小説で

記憶していたそうなのだが、 見たことがないのは関西に店舗がないせいなのか?

などと、二人で話した。

「是非一度行ってみたい!」と私が熱弁をふるったら、その彼女が写真の

ダンキンドーナツバッグをくれた。 アメリカンショップのようなところで見つけたそうだ。

使い道はそれほどなさそうなのだけど、とても嬉しい。

電車通勤にはちょっとむかない派手さで、職場に持っていって彼女に、

私の喜び度を伝えられないのは残念だ。                                                          

「ダンス・ダンス・ダンス」で心に残るシーンが一つあった。主人公の車の中で、

彼と深く関わることになった、年齢よりもずっと大人びていて生意気な少女が、

自分の力では如何ともし難い状況に、耐え切れずに静かに泣く。

彼はただ胸を貸してその姿を見守っている。

そんな場面だ。

後年ロバート・B・パーカーの「初秋」に、その状況も感情の流れも同じような

場面があるのを知って、がっかりしてしまったのだけれど、

でも確かにそれは心を打つ場面だった。

子供が不条理に傷つけられている、そんな状況には締め付けられるような痛みを

感じざるを得ないから。

そしてそんなときには誰かにただ胸を貸してあげて欲しいと思うから。

たとえそれが問題の解決の一助とはならないにしても。

ところでダンキンドーナツはアメリカでNO.1のドーナツショップらしいが、 日本では

1998年に撤退して、もう店舗はないらしい。

そして驚いたことに、アメリカではミスタードーナツはダンキンドーナツに

吸収合併されたという話。

ミスタードーナツであふれかえった日本で暮らしていると、何だか信じられないような

不思議な気がする。

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2007年1月16日 (火)

ミント・ジュレップの誘惑

4101339112 きらきらひかる
江國 香織
新潮社 1994-05


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アイリッシュウイスキー、ピーチフィズ、キュンメル入りのジン、ミントジュレップ、

冷たいビール、シャンパン、オレンジの匂いの炭酸酒、キュラソーとトニックウォーター。

江國香織の小説「きらきらひかる」には、いくつものお酒の名前が次々に現れる。

そして登場人物たちは実に美味しそうにそれらを飲んでいるので、

読み進むほどに実際に飲んでみたい衝動が強くなる。

大学生の頃に初めて読んだ時、私は聞いたことのないキュンメルだとか

キュラソーだとかの単語が出てくるたびに、その言葉の響きが楽しくてワクワクした。

とりわけ心惹かれたのが ミントジュレップ

可愛らしくて爽やかな印象の名前のこのカクテルは、本書の中では

かすかに甘くすっきりとして強い、と説明されている。

レシピを調べてみるとそれはますますはっきりとわかる。                           

★ミントジュレップのレシピ★

コリンズグラスにミントの葉と砂糖を入れ、よくつぶす。

クラッシュドアイスをいっぱいに詰め、バーボン・ウイスキーを注ぎ、グラスの表面に

霜が付くくらいよくかき混ぜる。 最後にミントの葉を飾る。

ミントジュレップは、アメリカの三冠の第1冠としてケンタッキー州にある

チャーチルダウンズ競馬場で行われる、ケンタッキーダービーの公認ドリンクとして、

19世紀から愛されてきたカクテルなのだそうだ。

そんなエピソードにもますます心惹かれるのだが、とても大きな障害があった。

残念で残念で仕方がないのだけれど、私はとてつもなくアルコールに弱い。

どくどくと音を立てて全身を激しく血液が流れ始め、赤くなる。顔も、体も。

ちょっと笑ってしまうほどに。

周りが美味しそうにアルコールをどんどん飲んでいる時、私はせいぜい

ジュースだかお酒だかわからない、お茶を濁したようなカクテルを、

ちびりちびりと口にしている。

先日イタリアンのお店で飲んだロゼのシャンパンがとても美味しくて、一杯飲み干し、

調子に乗って白ワインも少し飲んでいたら、急に聞こえてくる音が遠くなって

体が崩れ落ちそうな感覚を感じて驚いてしまった。

それが酔っていたのだか体調不良だったのだか、いまだによくわからない。

でもとにかく強いお酒は無理だ。

例え自分の身の丈に合わないものであったとしても、

その言葉がとてつもなく魅力的に感じることに変わりない。

江國香織の小説には、楽しくて可愛い物にあふれた素敵な雑貨屋さんに

迷い込んだときのような、高揚感を与えてくれる言葉がそこかしこに隠れている。

本書のあとがきで作者は「ごく基本的な恋愛小説を書こうと思いました。」

と記していた。

「ごく基本的」

それをどのように定義してよいかわからないが、

この物語は私の持つ「ごく基本的」のイメージとは随分違う、ゲイの夫と

情緒不安定でアルコールを飲み続ける妻、そして夫の恋人を中心とした恋愛小説だ。

その設定だけを考えれば想像してしまう淀みが、この物語には全く感じられないのは

一体何故なのだろう。決して綺麗ごとばかりが書かれているわけではないのに、

不思議なくらい静かで澄んだ空気に満ちている。

「きらきらひかる」という美しいタイトル通り、きらきらとした宝石のような

言葉たちのせいなのかも知れないとも思う。

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2007年1月 2日 (火)

はなしか稼業

4582763030 はなしか稼業
三遊亭 円之助
平凡社 1999-09

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落語は積極的に聞くわけではないが、人や古い時代の持つ独特の温かみを感じる、

そんな話は大好きで、テレビで落語の番組があると聞き入ってしまうことがある。

最近は少なくなったが、お正月にはよくテレビで寄席の番組を家族で見ていた。

そういうわけでお正月らしく噺家さんのお話。

三代目三遊亭円之助は昭和31年、三代目三遊亭小円朝に入門、朝三となる。

昭和40年に三遊亭円之助を襲名し、真打昇進。

彼の唯一のエッセイ集である本書は昭和55年に脳溢血で倒れた後、

リハビリの一環で書かれたものだから、恐らく震える手で時間を掛けて、

たどたどしく書かれたに違いないのだが、そんなことを全く感じさせない、

リズム感のある軽やかな文章で綴られている。売れない頃の旅回り、

そんな中で知る師匠方の新たな一面や、さりげなく心温まるエピソード。

お金がないくせにお酒が好きで、お酒の上の失敗にも事欠かない。

貧乏が故の苦労話もふと笑みがこぼれてしまうような話に転じてしまう。

そしてなんといっても、破天荒であったり、情けなかったり、変人であったりする

登場人物たちに対する、常に温かい彼の目線が心地良い。

本書には解説が載せられていて、これを書いたのも落語家であるが、

彼は本書について、円之助は落語とどのように関わり合っていたのか、人生とどう

関わりあっていたのか、自分の恥部を含めた己のコンプレックス、己の

社会とのリアクションを、一つも書いていない。落語家ならば語るべきだった。

と述べている。

確かに本書には全くといっていいほど、自分自身のことについて述べられていない。

エピソードの登場人物として書かれているのみで内面的なことには触れられない。

彼が脳溢血で倒れ、リハビリを始めることについても最後の一篇で語られるが、

それとても彼自身のことが中心ではなく、その際に親身になってくれた林家三平師匠に

ついて言及するところに中心を据えている。

その徹底した客観性は意識しなければ生まれないものだ。

彼が脳溢血に倒れ体の自由を失ったとき、落語家としての再帰について

楽観的であったとは思わない。

突然襲った雷の一撃のような病に、彼は恐らくこれまでのこと、これからの事含め

人生について深く深く思いを寄せたはずだ。

だからいくらでも書き得たのだ。彼の筆力を持ってすれば、全く違ったトーンの

ものになるにせよ、見事な物語になっただろうと思う。

けれども彼は全くそんな気配を微塵も感じさせない軽やかさで、

温かく面白おかしいエッセイを書いた。

私はそこに彼の噺家としての断固たる信念を感じて胸を打たれる。

「はなしか稼業」

タイトルがそれを物語っている。

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2006年12月18日 (月)

鼻のこびと

4924330485 鼻のこびと
ヴィルヘルム ハウフ Wilhelm Hauff Lisbeth Zwerger
太平社 1999-06

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リスベート・ツヴェルガーの絵が好きでこの絵本を購入した。

彼女はウィーン在住の国際的評価の高い絵本画家だが、日本でも人気が高い。

原画展が2002年に京都の駅ビルで開催されたときも、随分盛況だった。

彼女の絵はとても好きなのだが、実は私は彼女の描く人間の目が少し怖い。

絵本とはいえ可愛らしいだけの絵では決してない。

それでも彼女の絵は繊細でとても優しいと思う。

この「鼻のこびと」では主人公の少年ヤーコプが魔女に姿を変えられ、

両手に余るほどの太くて長い鼻、首がなく肩に頭がくっつけられている。

滑稽ではあるけれどなんともいえない可愛らしさで、その派手ではないけれど

鮮やかな赤の色使いが印象的だ。

異形の者と言っていいのだろうか。

絵本には人間以外の不可思議なものが数多く出てくるが、彼女の描く

そんな彼らはほのぼのとした温かみとよるべない哀しみをたたえている。

その温かさのせいだろうか。読む側の私たちは、その哀しみを

異形であるが故のものではなく、私たちと同じ哀しみとして感じることが出来る。

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2006年11月12日 (日)

夢見つつ深く植えよ

4622045974 夢見つつ深く植えよ
メイ サートン May Sarton 武田 尚子
みすず書房 1996-02

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タイトルに惹かれて読み始める。

ベルギー生まれで4歳のときアメリカに亡命した詩人、メイ・サートンのエッセイ。

46歳にして彼女は、ニューハンプシャーのネルソンという田舎の村に居を構える。

彼女が直感で選んだその家は、十八世紀の農家で、かなり傷んではいるが、

五つの暖炉と小川に囲まれた30エーカーの広大な土地付きのものだった。

そして彼女の、時間をかけた家と庭作りの生活が始まる。

彼女は言う。

庭作りほど多くを要求し、多くを与えるものがほかにあるだろうか 

おそらく詩を書くことのほか、私は知らない と。

さらにその二つの共通項として、たまたま全てがうまくいったときの稀な喜びを

得るために、受け入れなくてはいけない無駄の量と、どちらもが再生をもたらす情熱

である点があげられている。

そして異なる点は、詩は全ての年齢のもので、庭作りは晩年の喜びであり、若者は

忍耐に欠け自分にかまけすぎており、庭を作るほどに、根を下ろしてはいない、と。

それは言葉通り庭のことでもあるし、人生のことでもある。

そのことはタイトルでもある 夢見つつ深く植えよ いう言葉につながってくる。

私はもちろん彼女の言う、庭を作るほどに根を下ろすような年齢ではないが、

その年齢に達した時、植えるべき夢見る想い、取り入れるべきさすらいの実を、

持ち得ているだろうか、と不安になる。

私は今をあまりに刹那的に生きているし、そして何かを育てようという

前向きな情熱に欠けている。また、何かに躓いた時それを受け入れ、その上に

重ねていこうというよりは、更地に戻して傷つかないことを選んでいる気がする。

そんな土地には何一つ育つものはないだろう。

そこでは孤独が私の仕事

それは庇護どころか深刻な要求ばかり

私は問わず、ただ答えねばならない

この花婿の手を取って

彼女が惜しみなく与え、そして与えられたように、私も庭を作るための準備を、

今から始めなくてはいけない。そう強く感じる。

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2006年10月28日 (土)

アデン アラビア

ポール・ニザンの「アデン アラビア」 をどんなきっかけで手にしたのか、

今となっては思い出せないが、二十歳を過ぎずに出会えてよかったと

なんとなく思ったことは覚えている。

それはもちろん「ぼくは二十歳だった」で始まるあまりに有名な冒頭の言葉のせいで、

それなのに私はその文章がそれほど好きではなかった。

ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと

だれにもいわせまい 

この文章に言葉に対する陶酔を感じ、気恥ずかしさと嫌悪感があった。

あまりにも表層的な捉え方で情けない限りだが、その気持ちはずっと変わらなかった。

それだけで、もうこの本を読む資格を持たない私ではあるが、それでも

彼の持つ躊躇のない激しい怒りの言葉には、圧倒されずにはいられなかった。

それは怒りを持ち得ない自分への歯がゆさにもつながる。

私は決してこの本をきちんと読み込んではいない。気が向いた時に、気が向く分だけ

ページをめくり、断片的に言葉を拾い集めるだけだ。

それでもポール・ニザンは私に時折強く語りかけてくる。

ぼくらの行動のひとつたりとも怒りと無関係であってはならない と。

そして

もはや憎むことを恐れてはならない。もはや狂信的であることを恥じてはならない。

ぼくらは彼らに不幸の借りがある。

彼らは、ぼくを危うくだめにしてしまうところだったではないか。とも。

その言葉は言葉通りの意味で私に語りかけるのではなく、恐らくそこから発する

エネルギーが、ある種の信号のような形で私の心に強く訴え、そして力を与えてくれる。

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2006年9月 4日 (月)

お願い

本棚で探し物をしていてふと気づいたら、

いつのまにか無くしている本がたくさんあった。

レベッカ 上巻/デュ・モーリア 

(モノクロの映画もとても素敵だったけれどやはりなんといっても小説。)

ホテル・ニューハンプシャー 上巻 /J・アーヴィング

(エッグが死んでしまったところでいつも私の思考がとまってしまう。) 

長距離走者の孤独 / アラン・シリトー

(ほとんど内容を覚えていない。多分大学の頃に読んですぐに無くしている。

でも土曜の夜と日曜の朝は残っている。何故だ?)

山の音 / 川端康成

(川端康成の小説の中で何度も何度も読み返したのはこの本と短編の「日向」だけ)

多分探せばまだまだある。

無くすはずのないものが、いつの間にか手元から消えていたりするのは

一体何故なんだろうか?

間違って処分してしまったのか。家族の本の山に紛れたか。

それとも夜中に小人さんが隠しているのか。

もう一度読みたいものばかりなので、出来れば

小人さん、返してください。

====追記====

山の音を母の本棚で発見した。

すばやく奪取するも、母は自分が取り込んでいたことすら気づいていない。

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2006年8月20日 (日)

惑う子供たち、的外れな大人たち

子供なのにどこか憂いを秘めている。そんな印象があった。

シックス・センス で自らが持つ特殊能力を持ちあぐね、悩む繊細な少年役を演じていた、

ハーレイ・ジョエル・オスメント少年だ。

役柄的なものもあっただろうけれど、彼はもともと少し泣き顔だ。

フォレストガンプ 一期一会 でのガンプJr.はあまりに愛らしくてそれでいてシンプル。

彼は子役だけれど、可愛らしさと達者さ、そしてそのシチュエーションで、

観る側に感情を喚起させるのではなくて、自ら内的なものをそれは喜びでもあり

悲しみでもあるけれども、表現できる役者だったと思う。

一世を風靡した子役たちがこぞって同じ道を辿るのは、やはりその世界のあり方に

何か問題があると思わざるを得ない。

だから彼がマリファナ所持で逮捕されたというニュースは残念だけれど、意外ではない。

でも特殊な世界ばかりではなく、今、ごく身近な子供たちがその危うさを露呈している。

学習能力の低下、集中力のなさ、我慢のなさ、モラルの低下…。

私だって決して威張れたものではないことはわかっている。

それでも今、かつてないほどに子供たちがゆがみを見せている気がして怖い。

自由は大切。でもゆとりや癒しなどという言葉を免罪符にして何もかも許すことで、

ダメにしているものは本当に多い。

私は 池田潔が自身がイギリスのパブリック・スクールで過ごした体験を元に

その厳格な規律の中で見事に育まれていく教育システムについて描いた

自由と規律」という本がとても好きだ。

半世紀以上も前に書かれた本だから、そのまま今の時代に即しているとは

思わないが、無意味なゆるさが蔓延した私たちの社会に必要なものが、この中には

確かにある。そしていくつもの心打つエピソードは、教訓だのという堅苦しさをなしにして、

読み物として是非たくさんの人に読んで頂きたいと思う。

信念を持たない大人が子供を導くことは難しい。ふるきを訪ね今必要なことを、

大人がもう一度真剣に見つめなおすことがとても大切なのではないかと、

数々の悲しいニュースを聞きながら考えてみたりする。

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おばあさんたちのお仕事

いちごばたけの赤いイチゴは、実は地下に住むちいさなおばあさんが染めている。

土の中から掘り出した緑の石を細かく砕き、お日様の光をたっぷり吸い込んだ水に

混ぜると、まっかな染料が出来上がる。

染料を作るおばあさんの地下のお家はモグラの巣のように、いくつもの小さなへやがあり

その迷路のようなお家を見るだけでもわくわくするが、染料作りは本当に楽しそうだ。

出来上がった染料でいちごにひとつひとつ色をつけていくと、赤くて甘いイチゴに変わる。

これがおばあさんの毎年のお仕事なのだ。

このいちごばたけのちいさなおばあさん / わたりむつこ さく 中谷千代子 え は

読むたびにおばあさんのお仕事を手伝ってみたいと思わずにはいられない、

実にワクワクするお話なのだけれど、それでもおばあさんと同じような生活をしたいと

一度も思わなかったのは、一人ぼっちで暮らすおばあさんの毎日が、なんだか

寂しく思えたからだろうか。

私が祖父母、両親と賑やかに暮らしていたためについ比べてしまったせいかもしれない。

両親とも働いていたせいで、私が小さな頃いつも家にいたのは祖母だった。

いや、活動的でお出かけ好きな祖母は家にいないこともしょっちゅうだったのだけれど。

小学生の頃は真っ黒に日焼けし、活発で生意気だった私だが、中学に入る頃から

徐々にやや内気な人見知りな性格が顔を出し始めた。

勝ち気で豪快な祖母には私はあまりに覇気がなく頼りなく思えたのだろう。

「声が小さい」だの「元気がない」だのもっと様々な些細なことでも随分叱られた。

時に理不尽な叱られかたもしたが、口答えもできず大泣きしていた記憶がある。

成長して多少口答えをしようものならそれはそれで大変だ。母が仕事から帰るやいなや、

私はこの子にこんな生意気な口をきかれるために育てたのではない、と母に

激しく抗議し、私は悔し涙にくれながら改めて祖母に詫びなければならなかった。

私が大人になる頃には口げんかをしても、泣かされるようなことはなくなったが、

祖母がいつまでも勝気で誇り高い人であることには変わりなかった。

今になって私は、祖母にこれ以上ないほど大事に育ててもらったのだと心から思う。

祖父のように猫可愛がりはしなかったかわりに、小さな頃に大病を煩った私を

心配してか、豪快な彼女らしく私の行く末を思い、将来の為に必要と思われることは

なんでも許し、そして惜しみなく協力してくれた。

私は祖母に何もしていない。ただ最期まで家族で仲良く暮らしただけだ。

祖母がいなくなってこの夏でちょうど6年になる。夏に限らず祖母の思い出話は

折にふれてしているが、つい先日母が驚く告白をした。

母は赤ん坊の私の沐浴を一度もしたことがないというのだ。

「お母さんはその時何してたの?」 「バスタオルと着替えを持ってスタンバイしてた」

不意に、思い出よりもずっと若い祖母がちいさなちいさな私に丁寧に湯をかける姿が

目に浮かび、涙が出た。

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2006年8月16日 (水)

人魚の沈黙

考えてみるとフランツ・カフカには学生時代から随分翻弄されてきた。

「城」では呼ばれたにもかかわらず城にたどり着けない主人公の測量技師とともに

迷走し、果てはその不条理に主人公が悩み足りないと腹を立てる始末。

読後は自分が一体何を目的に読んでいたのかわからなくなっていた。

短編「掟の門」はドイツ語のテキストで初めて出会ったのだが、内容的な理解が

乏しいため、訳しながらも自分の訳が文法的に正しいかどうか確信できなかった。

その上「掟の門」と夏目漱石の「門」の二つの門を比較したレポートの提出を求められ、

何故だか「歎異抄」まで引き入れて、単位のために自棄になって書き上げた。

内容はほとんど覚えていない。恐らくその程度のものだ。

自分が自分を納得させられるような読解を決して出来ないことがわかっていて、

それでもどうして読んでしまうのだろう。

確かに奇想天外な物語と完結を目的としない潔い書きっぷりは魅力的なのだけれど。

有名な「変身」は朝起きたら虫に変身してしまうが、「橋」では最初から『私』は橋だ。

待つこと以外何も出来ない橋。

待つ以外に何が出来る?一度かけられたが最後、落下することなしには橋は

どこまでも橋でしかない。

しかし橋は寝返りを打ち、自ら落下してしまう。何故などと言ってはいけない。

橋という認識に囚われている私がダメなのである。

そもそも何故『私』が橋に?などというのはもっての外だ。橋は橋だ。

自己破滅していくただの橋だ。勿論常識的にはただの橋は自己破滅なんてしないが。

「人魚の沈黙」はホメロスの叙事詩「オデュッセイア」を基にして書かれた短編で、

オデュッセウスがあやかしの人魚の誘惑から身を守るため、歌声が聴こえないよう、

耳に蝋を詰め、帆柱に鎖で固く自分を括り付けさせ、難を逃れる物語だ。

しかし、この時人魚は歌わなかったのだ。沈黙という強力な武器を用い、自力で人魚に

打ち勝ったという感情と、その後にこみ上げてくる昂然とした気持ち によって彼を

打ち負かすはずだった。が、やはり彼は負けなかった。一心不乱に遥か彼方に

目をすえた 彼はもはや人魚のことなど念頭になかった ためだという。

なるほど。

しかし一方誘惑に失敗したはずの人魚たちだが、この時すでに誘惑しようなどと

もはや考えてはいなかった。

だからこのときほど彼女たちが美しかったことはないだろう とカフカは言う。

もしも人魚に自意識というものがあったなら、この時滅んでいたはずだ、と。

この辺りでもう私は両者の意識の位置関係をやや見失い始めている。

が、カフカは畳み掛けてくる。智将オデュッセウスは煮ても焼いても食えないズル狐で、

とっくに人魚たちの沈黙に気づいていながら一連の芝居をやってのけたのだ、と。

…こうして私はオデュッセウスと人魚とカフカに翻弄された。

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2006年7月25日 (火)

クラフト・エヴィング商會のおはなし

少し前に本のタイトルにこだわるということを書いた。

そして今度は装丁の話を書くと、まるでいつも本を内容なしで選んでいるみたいで

なんだか嫌なのけれど、それでもやっぱり装丁の話。

装丁が素敵で思わず手にとってしまう本がある。

文庫本や単行本などは出版社ごとに装丁が揃っていて、並べると統一感があるが、

新しい出版社のシリーズものほど、その装丁が凝っているものも多いようだ。

新潮クレストブックスシリーズは結構好きで4冊持っている。

「逃げてゆく愛」「朗読者」「停電の夜に」「ペンギンの憂鬱」 特に前二作は

静かだけれど語り掛けるような、力強さを感じる本当に素敵な表紙だ。

でも装丁といえばやはり クラフト・エヴィング商會 本だと思う。

最初に出会ったのは「針がとぶ」「フィンガーボールの話のつづき」(吉田篤弘著)

クラフト・エヴィング商會というのは吉田篤弘と吉田浩美のお二人による共同名義で、

1998年から著作、本の装丁などを手がけているのだそうだ。

個人名義で書かれた小説も装丁はクラフト・エヴィング商會で、決して派手ではないが、

静寂と温かさを兼ね備えた優しい装丁ばかりで、並べて眺めると幸せな気持ちになる。

「クラウド・コレクター」「アナ・トレントの鞄」「十字路のあるところ」などなど、

タイトルマニアの心も十分に満たしてくれる。

勿論他の作家の本の装丁も数多く手がけていらっしゃるので、たまたま出会う事も

多々あって、それはそれで中々楽しい。

たとえば「なんといふ空」(最相葉月著) 「思い出のむこうへ」 (小澤征良著)は

後で知ったが、なるほどと思わせる。シンプルで色がとても良い。最相葉月の著作は

他にもクラフト・エヴィング商會装丁のものが何冊かあるらしい。

大好きなものが思いがけなく見つかるのはちょっと宝探しみたいな楽しさだ。

素敵な装丁に胸躍らせるような乙女心をいまだしつこいほどに失わない私なので、

勿論素敵な絵本に出会っても狂喜乱舞する。でもそれはまた別の機会に…。

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この写真はアビニョンの本屋で出会った

レターセットのBOXで一目ぼれしました。

好きなものに出会えるのって幸せなことです。

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2006年6月18日 (日)

深夜特急

「深夜特急」 (沢木耕太郎著)を読んだのは、テレビで

大沢たかお主演の 深夜特急96 熱風アジア篇 を観る少し前だった。

自分では決して出来そうにない旅がそこにあり、ちょっとした憧れと

読み物としての面白さも手伝って一気に読みきった。

私自身が行った事のある国は、ほんの一部だけ出ては来るが、

そことてもあまり、懐かしく共感するような情景は描かれてはおらず、

作者が書いているとおり、やはり経験というのは一面的だと強く感じた。

深夜特急は香港マカオから始まり、南ヨーロッパ、最後はロンドンで終わるが、

始まりと終わりでは旅のトーンが徐々に変わっていく。

始まりの浮き立つような興奮、高揚感が薄れていくにつれ、迷いや、孤独、

明らかに旅に疲弊した様子が現れる。

それでも旅は続く。淡々と進むようでいて大きな感情の起伏を感じる。

これは沢木耕太郎という26歳の青年の一年以上にわたる旅の記録だが、

テレビの深夜特急は沢木の旅をドラマ化したものであり、また

大沢たかおの旅を記録したものでもあった。

本の内容を忠実に辿るだけではない、今をリアルに感じさせるものが画面にあった。

だから深夜特急は何度も読み返すけれど、録画したビデオも割と何度も観た。

同じものであり別のものでもあるから、全然別の面白さがある。

私も何度か海外に旅行したけれど、(今数えたら、8回だった)いつも

パックツアーで添乗員のいる決まりきった慌しい旅行をしていた。

それでも出かけて何日かたつと、自分が今ここで何しているのか

よくわからなくなることがある。

自分が今本当に楽しいのかどうかさえ。

でもそういう感覚って、ただ旅だけをしている空っぽな状態だから強く感じるだけで、

実は日常生活でも常に感じている感覚なのかもしれないとも思う。

握っていた手すりを放してしまうような不安定感ももっと楽しめるような、

そんな人生を送らなきゃ、そう考えてはいるのだけれど…。

深夜特急/新潮文庫 は全6巻で、テレビは 深夜特急96 熱風アジア編

97 西へ、ユーラシア篇 98 飛光よ、ヨーロッパ篇 はDVDで3巻セットで、

手に入れることが出来ます。出来れば両方を楽しんで頂きたいです。

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2006年6月 5日 (月)

コケモモのジャムとパンケーキ

決して食べ物ばかりに注目しているわけではないけれど、000879060000

童話を読むと美味しそうなものが次々現れる。

ぐりとぐらの大きなフライパンで焼いたカステラだったり、

ぐるんぱのようちえんの大きなビスケットだったり。

そして私が子供の頃読んだ本で一番心奪われた

美味しそうな食べ物は「コケモモのジャムをつけたパンケーキ

 いつも唐突にティースプーンくらいに小さくなってしまう

「小さなスプーンおばさん」のおばさんがご亭主にいつも焼いていて、

いまだに私がパンケーキ好きなのはこの本のせいだ。

コケモモのジャムがどんなものなのか良くわからなかったが、

とにかく美味しそうな気がして食べてみたくて仕方なかった。

きっと実際に食べてみるとそれほど驚くようなものではないはずのものが、

Kif_0449_2 本の中で現れると無性に食べたい気がしてしまう。

「長い長いお医者さんの話」という本で、魔法使いが

かじっていた梅の実をのどに詰まらせてしまうのだが、

それですら、食べてみたい衝動に駆られたものだ。

                          本の魔力はすごい。…私がいやしいだけ?

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2006年5月30日 (火)

僕の小さな野蛮人

タイトルはどんなジャンルにおいても勿論大切。Kif_0445

そして私はかなりのタイトルマニアだと思う。

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

THE BEATLESのアルバムタイトルだが、あえてカタカナ。

意味はないけれど呪文のように繰り返したくなるから不思議だ。

好きなタイトルの本は中身も好きな確率はかなり高いので

本はタイトル買いをしてもほとんど後悔がない。

好きなタイトルをつらつらと列挙してみると…

「僕の小さな野蛮人」「青が散る」「存在の耐えられない軽さ」「星々の悲しみ」

「人でなしの恋」「アデンアラビア」「深夜特急」…上げていくとキリがないのだけど

大好きなタイトルを並べるだけですでに楽しくなっている。

言葉の魔力。

でも正直に言ってしまうと「人でなしの恋」は一度読んだきり本を開いたことがない。

江戸川乱歩自体があまり興味がないためか、物語は好きになれなかった。

それでも本棚に並んでいるの見ていると、やはり良いタイトルだと感心してしまう。

どうしよう、夜中なのに「僕の小さな野蛮人」が読みたくなってきた。

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