日記・コラム・つぶやき

2009年2月 3日 (火)

犬の心にゆったり感

犬の心がわかるようになったのはごく最近の事で、

初めて知った時はちょっとした驚きだった。

でもそれよりさらに不思議だったのはゆったり感かもしれない。

犬の心にゆったり感って。

一体何の話をしているのかと訝しく思われているに違いない。

「犬の心」も「ゆったり感」も若手お笑いコンビの名前である。

名前というのは難しい。

全く知らない人にとっては、それがどんなものであるかということを推測する、

最初の手がかりみたいなものにもなるし、それ以後の印象も随分変わる。

本でも映画でも舞台でもタイトルの影響はあるものだけれど、芸名やコンビ名というのは、

ずっと背負っていくものなので、その影響力は一つの作品の比ではないが、

その存在がそれなりの認知をされていくと、どんな名前でも受け入れられていくという、

その良し悪しの評価は結構曖昧でもある。

昔から奇抜なコンビ名はあったのだろうし、多分私が知らないだけで、

お笑い界には今もこれ以上に奇抜で多種多様なコンビ名が溢れているに違いない。

たまたま知ったこの二組の名前が気になるのは、単に私の好みというだけだったりする。

ゆったり感。

なんだか意味もなく呟いてみたくなる。

「ゆったり感」という名前のコンビが一体どんなネタをするのか、非常に気になる

ところなのだけれど、まだ一度も観る機会がなく、いまだに顔すら知らない。

そして実は、ネタ自体にハマっているのは「犬の心」の方だったりする。

彼らは結成10年を超えるコンビだけれど、私はテレビでは一度も見たことがない。

でも最近は当たり前のようになった、ネット配信では頻繁に見る事が出来る。

初めて見た時、面白いんだけれど、ちょっと苦手。そんな印象だった。

ツッコミの押見泰憲のがなりたてるような声が気になったせいでもある。

そう思いながらも、どこかにひっかかって仕方がないので、続け様にいくつかネタを見る。

そうすると不思議なことに、苦手だったその声が妙に後を引く。

そのがなる瞬発力と、そこから絶妙のタイミングで引くという緩急が面白いし、

相方の池谷賢二の演技がマイペースでブレがないので、押見の緩急のあるキャラとの

バランスがとても良い。

観たネタの全てが面白いと思ったわけではないけれど、犬の心というコンビのもつ

独特の世界は充分魅力的だった。

独自の世界を確立してそこに立ち続けるのは、そしてそれが受け入れられるというのは

とても難しいことだし、そこには確固たる答えはない。

彼らの作る世界は、あるといえばある、ないといえばない、そんな曖昧なものに思える。

「演劇は風に書いた文字」 といったのは、演出家のピーター・ブルックだったっけか?

同じ意味ではないけれど、それに近い気がする。

今間違いなく掴んだものが明日は手の中にはない。

そんな繰り返しの中で、それでも尚彼らは造り続けるのだということに心動かされて、

彼らの作る世界を見続けているのかもしれないなと思ったりもする。

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2009年1月 5日 (月)

SすたーDだすとDだすと

明けましておめでとうございます。

相当な出遅れ感は否めませんが、普段から滞りがちなブログですので、

どうか御容赦くださいませ。

なんでしょうね、

恐ろしい勢いで時間がたつもので、このブログには全く季節感がないです。

今年の目標はブログ更新頻度のアップ…です、一応。

ところでタイトルの(すたーだすとだすと)ですが、

12月の始めにスターダストレビューのライブに行ったという安易な理由。

スタレビライブは2度目という超初心者。実はライブも知らない曲がすごく多い。

でもそんな私でも無条件に楽しい。彼らが楽しませよう楽しもうとしているエネルギーが

ダイレクトに伝わってくる、そんなライブなのです。

SすたーDだすとDだすとは要さんがライブ中に連呼していた言葉なのですが、

本当はSTOP DRUNK DRIVINGプロジェクトの略。

スターダストレビューもこの「飲酒運転撲滅プロジェクト」に参加していて、

2月にはこのプロジェクトによる二度目のライブが大阪城ホールで行われるそうです。

事故は色んな要因があって起きることだから完全に防ぐことは出来ない。

でも飲酒運転はしないと決めたら完全になくせるんです

ライブ中は常に高いテンションで話している要さんが、その時だけはとても静かに

そして力をこめて語る姿がとても印象的でした。

昨年はひき逃げ事故、しかも相手を引きずった上で逃げる事故が多発していました。

その加害者は飲酒運転であった場合が多かったのも特徴の一つ。

もしも逃げようとして相手を引き込んだまま走行を続けなかったら、助かった場合も

きっとあった筈で、その痛ましさは例えようがありません。

そんなニュースを聞くたびにどうしようもなく悲しく虚しい、人というものに期待することを

止めざるを得ないような、諦めの感情に支配されました。

だからこそ彼の言葉は心に残りました。

「しないと決めたら完全になくせる」 至極当然のことなんですけどね。

これからまだ新年会など飲酒の機会も多い季節です。

どうぞ全ての人の心に届きますように、と祈りながら

「すたー だすと だすと」と呟いてみることにします。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008年10月 8日 (水)

クォークとかペンギン過程とか

米シカゴ大の南部陽一郎名誉教授
高エネルギー加速器研究機構(高エネ研)の小林誠名誉教授
京都産業大理学部の益川敏英教授
三氏のノーベル物理学賞受賞が決まったらしい。
私もそのニュースに気持ちは高揚するのだけれど、
ただ、私にはその功績について理解する能力が全くない。

ニュース番組で生のインタビューをしているのをみていたら、
インタビュアーであるメインキャスターも、失礼ながら
私とそれほど変わらない位のわからなさ加減らしく、
すぐに質問に詰まって「御趣味は?」と聞いて
「…まぁ昔はスポーツもしましたけれど」という答えに
それ以上広げられずに沈黙、というキビシイ場面もあったり。
専門的な内容に踏み込むのは一般人には無理があるけれど、
いきなり「御趣味は」はないな、と苦笑してしまったけれど、
苦しい立場の彼の気持ちはよくわかる。

日本人の物理学賞受賞と聞いて思い浮かぶのは最近の受賞者よりも、
湯川秀樹や朝永振一郎 、江崎 玲於奈といった少し前の年代の方々で、
しかも湯川秀樹といえば「旅人」は好きだったなとか、朝永振一郎は
舞台「東京原子核クラブ」の主役の友田のモデルになった人だったな、
とかどうでも良い事ばかりに思いが飛躍して、
肝心の功績についてはやっぱりわからない。
どうでもいいことだけれど、
「東京原子核クラブ」は劇団M.O.P主宰のマキノノゾミ脚本、演出の舞台で
今までにマキノ演出版は二度、俳優座版でも二度上演されている。
もう一度みたいなと思い返す舞台のうちの一つ。
その舞台ももう10年ほども前になると思うと時間のたつ速さに愕然とする。
…完全にノーベル賞から話が逸れている。
意識的逃避だ。

だってもう、ここまできっぱりとわからないとかえって気持ちが良い。

クォークについては全くわかりませんが、
とりあえず受賞おめでとうございます。

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2008年9月 9日 (火)

泣くな、さかがみ

久々に電車通勤になって二ヶ月。毎朝、窓から海が見えることにも新鮮さがなくなり、

まるで何年もこんな生活をしているような気がするくらいに慣れた。

私が乗降する駅はすぐそばのJRの駅に比べるとやや地味なので、

時間的なものもあるが、帰りのホームは大抵閑散としている。

8つ並んだベンチの端のいすに座ると、少し離れて一人二人座る程度。

昨日も12~15分に一本という特急を逃してしまい、仕方なくベンチに座って

それほど気もなく本を読んでいると、男子中学生が二人、二つ離れた椅子に座った。

夜の7時半ごろなので、普段はあまり中学生に遭遇することはなく、ちょっと違和感が

あったうえに、なんだか不穏な音が聞こえてくる。明らかに泣きじゃくっている声。

「えーっ!」と驚いたけれど横を見るわけにもいかず、かといって気になるので、

いまさら本に集中も出来ない。

泣いているのは一人だけで、もう一人は困り果てた様子で時々声をかけている。

「…なあ、もう泣くなや」

「…多分大丈夫やし」

「…さかがみのせいとちゃうって」

多分その10分ほどの間にかけた言葉はそれぐらいだったと思うけれど、

その声の調子の優しさに、お行儀悪く聞き耳を立てていたお姉さんは

ちょっと心打たれたわけです。困ってはいるけれどあきれているわけでも、

慰めるのが面倒になっているような突き放した言い方でもなく、

割と淡々と、でもどこまでも付き合ってくれそうな温かさのある声で。

そのうちに電車が入ってきて、彼らの顔をみずに隣の車両に乗り込んだので

さかがみくんが泣いている理由はわからなかったけれど、

さかがみくんがどこまで泣き続けたのかもわからないけれど、

もう一人の彼は、多分泣き止むまで付き合ってくれたんじゃないだろうか。

さかがみくん、

泣きたいときに好きなだけ泣けるのも、そんな時にずっと寄り添ってくれる友達がいるのも

当たり前のことじゃないんだよ、とお姉さんは思いました。

ちょっと羨ましかったよ。

だから、泣くな、さかがみ。

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2008年7月 1日 (火)

ゆっくりと深呼吸

新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ

ものすごく久々にラジオ体操第一の歌を口ずさんでしまって
自分でもその唐突さに驚いた。
子供の頃から数え切れないほど聴いていて耳に馴染みがある歌だが、
口ずさんだのは、久々というより初めてかもしれない。

何故だろう?と考えつつも思い当たっている。
明日から新しい朝が始まるからだ。

転職をした。
だからこの六月は有給休暇を使って、
久しぶりにのんびりとした毎日を過ごさせてもらっていた。
長いと思った休みがあっという間に終わってしまうのは
学生の頃の夏休みで何度も経験済みだったのに、
それでもあまりに速すぎて驚いている。

休みに入る前はあれもこれもしようと考えていたことが
それほど片付いていないところも夏休みの宿題を思い出してしまう。

夏休みになると、私の家のすぐそばの公園では
子供たちを対象にしたラジオ体操が行われていた。
自治会が行っていたイベントだと思うけれど、私たちはカードに
毎日スタンプを押してもらって、最後の日には景品をもらった。
祖母につれられて通っていたので低学年の頃だけだった気がするが、
どうも夏休みといえばラジオ体操、という刷り込みが
私の中で出来てしまっていたらしい。

そんなこんなで連想ゲームのように、なんだかほの寂しい気持ちで
ラジオ体操の歌を歌っていたみたいで、
しかも明日から新しい職場に赴くくせに、なんとなく気が重くて
グダグダと夜更かししているのが、
子供が夏休み最後の日を惜しんでいるのと全く同じであきれる。

まあ、何をどうしたって新しい朝はやってくるので、
覚悟を決めてもう寝ます。
ゆっくりと深呼吸して行って来ます。

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2008年6月14日 (土)

旅に出るまえに

異国を旅をしている間、私はよくぼんやり考え事をしている。

街や遺跡や様々な場所を巡りながら、その新鮮な光景に感嘆しながらも、

気がつくと心ここにあらずという状態に陥っていることがしばしばある。

滅多に目にすることの出来ない異国にいながら、その感動を満喫するのではなく

自分の内側に沈み込むのは非常にもったいないことではあると思うけれど、

それでも思う存分そんな状態に浸ることに罪悪感を覚えない、またとない機会でもある。

日常生活ではそれほど許されることではない。

とはいえ大抵はそれほど大したことなど考えているわけではないのだけれど。

今日から6日間旅に出る。

行き先はトルコ。

同行の友人と私の二人ともが行ったことのない場所を選んだ。

トルコについてのわずかな知識と、ただひたすらに物思いにふけることが

許される時間に対する期待を抱えて、機上の人となるわけだけれど、

日常から離れることへの不安もある。

今、ニュースでは東北で起きた地震について報じられている。

状況が少しずつしか明らかにならないことに対する不安もある。

ふと思いが飛躍する。

自分が日本を離れている間に、さらに大きな天災が起きたりはしないだろうか?

そういえば「自由と規律」の著者である池田潔氏のエピソードだったと思うが、

(おそらく、という曖昧な記憶で申し訳ない)

彼と彼の兄がイギリスに留学中に関東大震災が起きた。

今ほど情報の伝達が発達していない頃のことで、「日本沈没」などという

大げさな情報までが流れたりもした。

家族の安否など全くわからないまま、不安を抱え肩を寄せ合って日本へ向かう船の中、

兄弟は

「もしも日本について家族が無事であったとしても、大勢の亡くなった方がいるのだから

人前で大きく喜び合うのは止めよう」

と語り合ったのだそうだ。

ささやかだけれど心に残るエピソード。

自分たちの不満や不安を自分ひとりでは抱えきれず、他人のせいにし、

他人を理不尽に傷つける、そんなことが珍しくなく起こる現代社会で、

周りの人たちを慮るというそんなごく当たり前であった気風は見る影もなく薄れている。

そんな社会に生きることで人は不安をさらに増幅し、心を病んでいくのかもしれない。

それにしても池田兄弟の家族は無事だったのだろうか?

ニュースを聞いているとなんだか不安で泣きたくなるような不安定な気持ちになる。

地震の被害がこれ以上広まらないことを心から祈りながら、

日本を離れます。

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2007年3月 4日 (日)

春宵一刻値千金

夕方から母と買い物に出かけた。

収穫はほとんどなかったが、目的の場所を見終わったらすっかり夜になっていた。

元町から車を駐車していた三宮まで、一駅分ふらりふらりと歩く。

今日は四月上旬くらいの暖かさで風も心地よく、夜とはいっても歩くのにちょうどいい。

春の宵のそぞろ歩きは、何とはなしに幸せな気持ちになるものだとしみじみ思う。

最近はなんだか良くない日々が続いている。

職場ではごたごたが収まらず、同僚の退職が決まり、悪い空気が払拭できない。

私にもPCが壊れたのに象徴されるような、小さなトラブルが続いていたのだが、

昨日は長く付き合っている友人と気持ちがうまくかみ合わず、悲しい思いをした。

どれほど長く付き合っていても、こんな風に驚くほどあっさりと壊れることもあるのだ。

それは思ってもいなかった出来事で、でも人との関係ではありがちな出来事だ。

どうにもならないことは どうにもならないままに やはりかなしい。

それでも気持ちの良い夜の道を、母となんでもない話をしながら歩いていると、

悲しいけれど、凝り固まった感情が少しだけ解けるような気持ちになる。

ほどけた分だけ我慢していたのに泣きたくなってしまったりもするのだけれど。

悲しい時はやはり空を見上げてしまったりするんだなぁと、歌の歌詞を思い出して

ちょっと可笑しい。

どうしようもなく遠いところまで視線をおくり、時間稼ぎをしているみたいな気もする。

そんな夜。

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2007年2月24日 (土)

脱PC生活

ある日唐突にPCが壊れてしまった。

なるほどそういう性質のものではあるだろうと納得してはいるのだけれど、

その唐突さに生活がついていかず、不便で物足りない毎日。

先日もラジオで流れた曲名が気になって、知りたいのだけれどすぐに調べられない

という歯がゆい思いをした。

それでもなくなってみて、あらためて感じることもある。

二週間後には帰ってくる予定なので、またゆっくり日記を上げようと思うけれど、

その時には、今までとは意識が少し変わっているかもしれないな、と思っている。

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2007年1月15日 (月)

片思い

Vfsh0075 友人の愛娘Sちゃんに会いに行く。

会うたびにどんどん赤ちゃんから女の子に変わっていく

Sちゃんは 1歳8ヶ月。

とっても甘えたで人見知りなので、ママにべったりだ。

私ともう一人の友人Mにご機嫌におもちゃを次々と

見せてくれたり、ボールで遊んでくれたり

していたかと思えば、 ママがちょっと飲み物を準備しに

階下へ降りると、 途端に不安になってしまうらしい。

「ママ、ママ、」と探し始めるSちゃんに

「ママ、どこかなぁ。すぐ帰ってくるから一緒に待ってようね~」

などとなだめる二人の大人。

とうとうママを探しておいおい泣き出す彼女を、おろおろとあやしていると、

ママのいない不安に耐えられなくなったのか、 「もう誰でも良い!!」という感じで

抱きついてきたので、 身も世もなく泣き崩れる彼女を抱っこする。

小さくてふわふわと柔らかいSちゃんを抱っこしていると

とてつもなく温かい気持ちになる。

ところがママが戻った瞬間、彼女はきゅっとしがみついていた手を離し、

体をよじってママ~と叫ぶ。

子供への片思いはあまりに切ない…。

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2007年1月 1日 (月)

新しい朝

新しい年が明けた朝はいつも神聖な気持ちになって、新たな決意をしたりする。

大晦日に夜更かしをして、少し遅めの朝。

大抵綺麗に晴れ上がっていて、明るい玄関に年賀状が届いている。

家族でお雑煮と御節を前に改まった挨拶をし、いつもよりゆっくり流れる時間がいい。

この日のためにあのせわしない年末の日々があったのかと思う。

一年の中でも特に大好きな朝。

それなのに夜になるとすっかりその新鮮さは失われて、

「お正月休みも後何日…」

などと指を折って数え、がっかりしたりする。                             

そんな不届きもののブログではありますが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2006年12月31日 (日)

ご挨拶

五月の、何の予定もなかったぽっかり空いたお休みの日、

特にどうしようという目的もなく思い立って始めたブログ。

始めたはいいけれど何をどんな風に書いていいか、悩みながら常に手探り。

それでも感じていることを拙いながらも言葉にすることで、

漠然としていた感情を自分なりに整理し、振り返ることも出来た。

言葉で表現することの楽しさと難しさを改めて感じることにもなった。                

生来の怠け者で更新頻度も低かったけれど、それでも頻繁に見に来てくださる方、

そして時折コメントくださる方、そんな方々がいらしてくださったので、

独りよがりで始めたブログも緊張感を失わず続けることが出来ました。

本当にありがとうございました。

来年も細々とではありますが続けていきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

もうすぐ除夜の鐘が聴こえます。

皆様どうぞ良いお年をお迎えください。

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2006年12月25日 (月)

追われる

Vfsh0062 せっかくの平日休みに、年賀状書きに

追われている。

どうして毎年のことなのに、いつもいつも

ギリギリになってしまうんだろう?

元旦には必ず着くように、暇な時間をこまめに

見つけて頑張ります。

ああ、もう出かける時間が来る…。

こんなことしている間に書いたらいいのに…。

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2006年12月17日 (日)

空の魅惑

Vfsh0052_2 神戸ルミナリエは毎年12月に開催され、

二週間ほどの間、元町の旧居留地から

三宮の市役所の横にある東遊園地までの道が、

光の装飾で彩られる。

あまりに近くに住んでいるので、いつでも

行けるとも思うし、観光客のごった返す、

会場までの迂回路を、警備員に誘導されて

延々歩かされるというようなわずらわしさが嫌

ということもあり、12年も開催されているのに数えるほどしか行ったことがない。

今年は映画を観に行った帰りに、終着点の東遊園地にVfsh0054_1 ふらりと立ち寄ってみた。

人ごみの中、条件反射で写真を写す。  

大震災の犠牲者の鎮魂の意を込め、都市の

復興・再生への夢と希望を託し開催された

祭典ではあるが、普段はそんなことを

すっかり忘れてしまっている自分に驚く。

それでも闇の中に浮かび上がる華々しい光の壁に

囲まれていると、日常から逸脱した空間の中で

なんとなく静かな気持ちになる。

会場はとんでもない人波で、静かなんて荘厳な雰囲気は かけらもないのだけれど。

ルミナリエにはその年毎にテーマがあって、今年のテーマは「空の魅惑」だそうです。

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2006年10月11日 (水)

ハッピーデイ

Vfsh0041_1 HAPPY BIRTH DAY と書かれたプレートの載った

ホールケーキはもうそれだけで華やかだ。

今日は職場の同僚の誕生日だったので、

ささやかながらケーキでお祝いをした。

女性の職場というのは基本イベント好きなので、

決して珍しい光景ではないのだけれど、

朝からちょっとしたそわそわ感がみんなに

蔓延しているのがおもしろい。

                                             ケーキの甘さが口の中に広がるみたいに

                     心に甘くて溶けそうなふんわりとした幸福感がある。

         ↑            祝われる側も祝う側もHAPPY BIRTH DAYと

a la campagneのケーキ大変美味でした   HAPPY DAYをお互いに満喫して笑顔になる。

                      ろうそくの火を消すとふっと現実に帰るような、

                      そんな儚さがいいんだな。

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2006年8月25日 (金)

いくつかの出来事に思うこと

サディスティック・ミカバンド ニューアルバム発売

復活のドキュメンタリー映画の製作も行われているらしい。

学生の頃、きっかけは覚えていないが、サディスティック・ミカバンドを初めて聴いた。

『黒船』『サディスティック・ミカバンド』の二枚のCDは今も持っている。

「タイムマシンにお願い」が有名だが私は「どんたく」が一番好き。

私が生まれたときに結成していたバンドが現役でアルバムを発売する。

そのパワーは文句なしに凄い。

作家吉村昭さん 尊厳死を選ぶ 

人間にしか出来ないことをする。それは人間に生まれてきたことへの答えに

なるのかもしれない。

自分ならどうするかも、その家族ならどうするかもどれだけ考えてもただの想像だ。

でも彼がそんな風に生きて亡くなったという事を恐らく私は忘れないだろうと思う。

子猫殺し 

作家の坂東真砂子さんが日経新聞に掲載したエッセーに対する反響が大きいらしい。

「人は他の生き物に対して、避妊手術を行う権利などない。生まれた子を殺す権利も

ない」 「自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを

選択した。もちろん、殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである」

全文ではなく一部を抜き出してそれに対して論じるのは間違っているかもしれない。

だから正しいとか間違っているとかは言わない。

ただ、殺しの痛み、悲しみを引き受ける側が、もしも感受性の貧しい人間だとしたら、

その人が感じる痛みや悲しみが、崖から落とされた瞬間に子猫の感じる実際の痛み、

恐怖に匹敵するものかどうかは疑問だとは思う。

私はどんな信念があろうとも、理屈抜きにその行為そのものが、

それを行える人間が恐ろしくてたまらない。

かつて惑星であった星 

プルート(冥王星) ひときわ変わった軌道を持ち、ひときわ小さかったために

惑星じゃなくなった星。

でもそのせいで水星よりも海王星よりもどの惑星よりも気になる星になってしまった。

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2006年8月23日 (水)

惑星の定義

世界で唯一天体の命名権のある団体、国際天文学連合(IAU)というものを初めて知る。

そのIAUの総会で今までは科学的に明確なものがなかった、惑星の定義が新たに

提案され、それが承認されると今まで小惑星だったり惑星の衛星だったりした星たちが

惑星に昇格するらしい。

おめでとう。

でもこの提案には批判も多く、今は修正案が検討されているのだそうだ。

どうなるのかわからないが、それはどうでもいい。

惑星の定義 その言葉に驚いた。惑星の定義なんて改めて考えもしなかったから。

いや、定義があるのだという認識すらなかった。

惑星は水金地火木土天海冥、子供の頃に覚えた、ただそれだけのもの。

考えてみれば定義がなければ私たちにとっては何もかもがなにものでもなく、

私たちは概念や定義のおかげであやふやな世界の中で路頭に迷わずに済んでいる。

でも人間が作ったものは人間によって変えられていく。

惑星じゃなかった星が惑星になるように、思いがけないものが自己を証明できなく

なってしまう日が来るかもしれないなどと、ちょっと妄想気味に考えてみる。

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2006年8月 9日 (水)

そんな一日

朝からダニエル・パウターがテレビでハイトーンの歌声を響かせている。

驚くことに生で歌っているらしい。

彼のインタビューに気をとられていたら危うく遅刻しそうになっている。

いつも通る交差点にパトカーと大勢の警官がいて驚く。

後部を大きくへこませたタクシーが写真を撮られている。

いつも職場近くで見ていた赤いバンダナを巻いた犬が死んで死んでしまったらしい。

特に仲良くはなかったのに、職場ではみんなちょっとしんみりしている。

バイバイ、マイケル。

なんだかやけに忙しくてエアコンの効いた部屋で大汗をかいている。

椅子に座るとき思わずでた溜息が思いのほか大きくて、

「幸せが逃げるような」気がして反省する。

夏の夕暮れは大好きなのだけど、それにしても七時前とは思えない蒸し暑さに

うんざりしながら車に乗り込む。

FMでダニエルがまた「BAD DAY」を歌ってくれている。

そんな誕生日。

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2006年7月31日 (月)

名前はガブリエル

Kyoto昨日京都をふらふらしていたら、出会いました。

なんか見てるし。なんか釣ってるし。

決してかえるが特別好きなわけじゃないけれど、

最近何故か愛らしいかえるに頻繁に出会うんです。

…でもなんで釣ってんの?

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仮想空間で幸せになる

京都の美術館「えき」KYOTOでのウィリアム・モリス展を見に行く。

最終日で日曜日ということもあり中々に盛況で、テキスタイル、壁紙、

家具などと併せてステンドグラスの絵柄をバックライトフィルムで展覧したりと、

こぢんまりとはしていたが、見ごたえのある良い展覧会だったと思う。

ウィリアム・モリスについては全く詳しくない。…ので中途半端な解説ないほうが

いいのかもしれないが、「近代デザインの先駆者」と呼ばれた彼は、

20060715_200367特権階級のものであった芸術を労働者階級にも普及

させるため 、生活と美の調和を目指し、質の高い

室内装飾品を作り出した人なのだそうだ。

繊細かつ大胆な色使いとデザインの壁紙やタペストリーは

確かに華やかだったが、部屋を模したスペースに壁紙や

タペストリーに囲まれて配置された家具の中にあった、

ランプがとても素敵で印象的だった。

その他にも実用性はなさそうだけれど、美しいタイルで彩られた暖炉など、

見ているだけで、ちょっと幸せになる、そんな部屋があった。

思わず「自分の部屋に欲しいなぁ」などと浅ましく呟いてしまったのでした…。

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2006年6月12日 (月)

世界の涙の量は不変だ

どこかで誰かが泣き出せば、どこかで誰かが泣き止む

「ゴドーを待ちながら」(サミュエル・ベケット)の中の台詞なのだけれど、

この頃良く、この言葉を思いだす。

きっかけはやはりあの会見かもしれない。

「あなたたちが僕を嫌いになったのは、多分僕がめちゃくちゃ儲けたからですよ」

「金儲けっていけない事ですか?」

反感は沸かなかったけれど、ずれている気がして仕方なかった。

感覚の話になると曖昧すぎて、完全に主観的な話になるんだけれど、

折り合いをつけるって社会の中の人間関係でとても大切。

金融ビジネスって誰かが得をすれば誰かが損をする。それは、世の中の

全ての事象に当てはまると思うことなのだけど。

例えば、

自分ばかりがいい思いや得をしていたら悪いから、

じゃあ次は譲りましょう、という感覚。

相手ばかりがしんどい目をして自分ばかりが楽をしたら申し訳ないから、

今度は自分がしんどい目をひきうけましょう、という感覚。

譲り合ったり、折り合いをつけたりしながら社会生活って成り立つと思っていた。

綺麗ごとに聞こえるかもしれないけれど、本当にそう思っている。

全て平均が良いといっているわけでは決してない。

むしろ手をつないで一緒にゴールするかけっこのある運動会なんて、

馬鹿馬鹿しくて笑ってしまうし、そんな教育がいいと真面目に論じる

そんな大人が教育をダメにしていると本気で思う。

世の中が不平等で不公平で理不尽なのは当たり前。

生まれもった能力もバックボーンも何もかも違う人間が、

同じだけのものを手に入れ同じような人生を歩むはずがない。

自分の力では如何ともし難い運命に翻弄されることだってある。

だから自分の人生をより良くするためにがむしゃらに一生懸命になる。

でも誰かばかりが泣いていて誰かばかりが笑っている、そんな状況に、

ふと疑問を感じる瞬間。その瞬間が大切な気がする。

決してあのファンドの人を批判ばかりしているわけではない。

彼の能力の高さは疑問の余地がないし、どんな世界にも新陳代謝は必要だ。

だから日本の経済の世界において新風を吹き込む大きな力ではあったと思う。

ただ誰かの不幸の上に立つことを自覚した上での自分の成功に

一点の曇りもなく疑問を持たない人間は、私は人として信頼出来ないし、

弱肉強食、やったもの勝ち、言ったもの勝ちばかりの世の中は、

長い目で見ればあまり幸せな社会とはいえない気がしてならない。

だからそんな風潮を助長させたりしないで欲しいと願って書いてみた。

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2006年5月16日 (火)

祝!0.1

先日視力が0.1以下だとカミングアウトしましたが、

その後コンタクトを購入に行った際、ものすご~く頑張れば、

(目を細めないでくださいね。と注意はされます)

0.1見えることがわかりました。(拍手)

でもコンタクトを入れても0.8しか見えない。

その振幅のなさは…?

でもとりあえず嬉しいです。

健康診断で身長が0.4センチ伸びていたとき以来の喜びです。

でもコンタクト専門の眼科の先生って何であんなに流れ作業的なんだろ…。

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2006年5月11日 (木)

ブログ名について

悩みました。

ブログ名って大事ですよね。たとえ自分しか閲覧しないとしても…。

やはり自分の大好きな何かから決めたいと考えていました。

詩人の田村隆一さんをご存知でしょうか?

私の高校の現国の教科書には

「言葉なんか覚えるんじゃなかった」で始まる、有名な「帰途」と言う詩が載っていました。

強烈なインパクトがあったわけじゃないけれど、いつまでも心に残る、

時折ふと思い出して読み返してみる、私にとってそんな詩でした。

その田村さんの詩の中に「毎朝、数千の天使を殺してから」

という詩があります。

殺すというのはちょっと過激に聞こえる言葉ではありますが、

何故かこの詩は色々な思いを喚起させられ、大好きな一篇になりました。

タイトルの一部の単語だけ取るというのは無意味なことかもしれませんが、

でも私なりにその詩から受け止めたこと、それを踏まえたうえで

「数千の天使」という言葉だけ拝借しました。

でも言わなきゃ絶対そこから引用したなんてわからないだろうなぁ…。

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はじまり

どうして急にブログを始めようと思い立ったのか、

自分でもよくわかりません。

でも、毎日生活している中でなんだか辛い事や、

やりきれない事があったり、解消しきれないもやもやがある中で、

出来れば愚痴をこぼすんじゃなくて、前向きに楽しいことを考えたり、

明るくストレスを発散できる場所が欲しくなりました。

自分にしか興味がないことや、自分には興味がないんだけど

世間で話題になってて不思議なこと、

様々なことを無節操にピックアップしていきます。

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