ニュース

2006年11月25日 (土)

明けるまでの長い夜

最近のニュースは辛い。

勿論悲しい出来事が多いせいではあるが、その解決の方向がまるで的外れに見えて、

世の中の情勢がますます混沌としていく気がして仕方がないから。

物事の責任を誰がどんな風に取るか。

誰かにとっての主観的苦痛を誰がどのように償うか。

何が正しいのか。誰が正しいのか。

答えが見えない。

様々なメディアが責任の所在を問い、その贖罪の方法を論じて追い詰めていく。

長と呼ばれる人が土下座をして詫びる姿をテレビカメラが追う。

でもそれを見る私の心は途方もなく冷えてゆく。

それは本当の意味での贖罪ではない。彼はそれが自分のせいではないと信じている。

そして私もそうだ。

彼のせいだけではあり得ないと思っている。

例えば、陰惨ないじめというものがどれほど人間の尊厳を傷つけるものか。

人間の尊厳を傷つける。

それは人として決してしてはいけないことだと、大人は子供に教えなくてはいけない。

それは人としての最低限の倫理なのだと。

人として決してしてはいけないことがあるのだということすら知らない傲慢な子供たちに。

そして大人にも。

でも、

例えどんな理由であれ、人間が自ら選んだ死というものの責任を

誰かに負わせていいものなのだろうか。

それこそが亡くなった人の尊厳を傷つける行為ではないのか、と。

誤解を恐れずに言ってしまえば、私は自ら死んでいく人間は

その死の責任を自らが負うべきだと考えている。

それが人として生を全うする最後の砦だと信じている。

だからこそ本当は死んで欲しくない。

逃げろ

そう思っている。

逃げ切ってほしいと願っている。

逃げ切ることは絶対に可能なのだ。

今を耐えることさえできれば。

それは底なし沼のように果てしない絶望に思えるかもしれないけれど、

決してそうではないことを、生き続けている人間は知っている。

無関係なくせに、あたかもそれが社会の正義であるような勘違いや偽善で

あなたの死を声高に語り、贖罪を求めるということを盾にして、人を余地のない

壁際まで追い詰めることに何の疑問も持たない、そんな輩に

あなたの人としての尊厳を絶対にゆだねてはいけない。

あなたの死はあなただけのものだ。

それは一番身近な家族さえ侵してはいけない領域なのだ。

その神聖な領域をやすやすと他人に明け渡してはならない。

そう思っている。

でもね、

つらいよね。

何をどう言ったって辛いときは辛い。

泣いても叫んでも、唇を血が出るほどの強さで噛んだとしても。

自分一人だけ辛いわけじゃないと頭ではわかっている。

それでもそんなことが信じられなくなるほど孤独になる。

皆どんな風に乗り越えているんだろうね。教えて欲しいと思う。

私は

一つだけ大事な言葉を持っている。

決して自分の抱えている問題の本質的な解決にはならないけれど、

それでも小さな力をくれる。

あなたの心にも小さな力をくれますように。

君看よ双眼の色 語らざれば憂い無きに似たり

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2006年6月 5日 (月)

天罰について

元野球をしていて、今は少年たちを指導する人が、天罰なんて言葉を使っちゃいけない。

そんな風に言ってらっしゃいましたね。

私はね、むしろ「天罰が下る」という感覚、

天網恢恢疎にして漏らさず

そんな言葉に表されるような、誰が見るわけでなくとも道徳観念を失わない、

そんな認識のない人間が増えすぎて世の中悪くなっていると思います。

モラルも礼儀もどこかに置き忘れているんじゃないですか?

今回の問題で具体的にどれほどM氏に罪があるのかは、私にはわかりません。

でも少なくともH氏の「天罰が下るべきだ」という発言の是非を

問うべき時ではないと私は思います。

H氏は「自分は彼が天罰が下るべきことを犯していると思う」と

表現したに過ぎません。

言った本人自身が「あなたを地獄に落とす」といった訳ではない。

あくまで罰を下すのは天なのですから。

問題のすり替えはやめましょう。

不本意ながらルールを破ったと認めた、そのことから話を始めましょう。

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