2008年7月 1日 (火)

ゆっくりと深呼吸

新しい朝が来た 希望の朝だ
喜びに胸を開け 大空あおげ

ものすごく久々にラジオ体操第一の歌を口ずさんでしまって
自分でもその唐突さに驚いた。
子供の頃から数え切れないほど聴いていて耳に馴染みがある歌だが、
口ずさんだのは、久々というより初めてかもしれない。

何故だろう?と考えつつも思い当たっている。
明日から新しい朝が始まるからだ。

転職をした。
だからこの六月は有給休暇を使って、
久しぶりにのんびりとした毎日を過ごさせてもらっていた。
長いと思った休みがあっという間に終わってしまうのは
学生の頃の夏休みで何度も経験済みだったのに、
それでもあまりに速すぎて驚いている。

休みに入る前はあれもこれもしようと考えていたことが
それほど片付いていないところも夏休みの宿題を思い出してしまう。

夏休みになると、私の家のすぐそばの公園では
子供たちを対象にしたラジオ体操が行われていた。
自治会が行っていたイベントだと思うけれど、私たちはカードに
毎日スタンプを押してもらって、最後の日には景品をもらった。
祖母につれられて通っていたので低学年の頃だけだった気がするが、
どうも夏休みといえばラジオ体操、という刷り込みが
私の中で出来てしまっていたらしい。

そんなこんなで連想ゲームのように、なんだかほの寂しい気持ちで
ラジオ体操の歌を歌っていたみたいで、
しかも明日から新しい職場に赴くくせに、なんとなく気が重くて
グダグダと夜更かししているのが、
子供が夏休み最後の日を惜しんでいるのと全く同じであきれる。

まあ、何をどうしたって新しい朝はやってくるので、
覚悟を決めてもう寝ます。
ゆっくりと深呼吸して行って来ます。

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2008年6月23日 (月)

トルキッシュ!

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                                                                                                              トルコでは焼けるような日差しの強さに肌がやけどの様に真っ赤になり、

かなり酷い目にあったのだけど、帰ってみれば日本の湿度の高さに辟易。

勝手なものだと思うけれど、

…間はないのか?と。

滞在期間が短いため、限られた場所にしか行く事が出来なかったが、

カッパドキアの荒涼とした大地に広がる奇岩石群に圧倒されたり、

イスタンブールの、カッパドキアとは対照的な喧騒に巻き込まれたりと、

短いなりに旅を満喫した。

そういえばカッパドキアでの最初の夜に、零時過ぎ頃だったか、

表でバイクのクラクションやら騒ぐ声やらが急に聴こえ始めて、あまりの大音量に

「暴走族か?暴動か?」と怯えたのだが、あとで聞いたところによると

サッカーに勝ったための歓喜の雄たけびだったらしい。

それが収まれば、四時くらいにはコーランがマイクを通して流れ始めるし、

とても安眠できたものではなかった。

トルコはなかなか手強い国でもある。

まだまだ整理できていないままだが、何枚か写真を載せてみる。

光景を切り取ることにばかり必死になるのはつまらないけれど、

記憶に鮮明に残す手助けには、いくばくかの写真はやはり必要だと思い撮影した。

誰かが撮影した写真を見るのはとても好きだ。

たとえば同じ方向を見ていたとしても、相手が本当に見ている物はわからないけれど、

写真を見ると、

その人がその場所で何を見、何を面白いと思い、何を残そうとしているかがわかる。

自分の写真を見ても、実は同じことが言えて、

あの時自分は、こんなものを面白いと思ったんだなと、

意外な思いで写真を見返すことが時々ある。

元来面倒くさがりで、引きこもりがちなタチではあるけれど、

時々旅行に出かけると、外側にも内側にも発見があるものだと、しみじみ思う。

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2008年6月14日 (土)

旅に出るまえに

異国を旅をしている間、私はよくぼんやり考え事をしている。

街や遺跡や様々な場所を巡りながら、その新鮮な光景に感嘆しながらも、

気がつくと心ここにあらずという状態に陥っていることがしばしばある。

滅多に目にすることの出来ない異国にいながら、その感動を満喫するのではなく

自分の内側に沈み込むのは非常にもったいないことではあると思うけれど、

それでも思う存分そんな状態に浸ることに罪悪感を覚えない、またとない機会でもある。

日常生活ではそれほど許されることではない。

とはいえ大抵はそれほど大したことなど考えているわけではないのだけれど。

今日から6日間旅に出る。

行き先はトルコ。

同行の友人と私の二人ともが行ったことのない場所を選んだ。

トルコについてのわずかな知識と、ただひたすらに物思いにふけることが

許される時間に対する期待を抱えて、機上の人となるわけだけれど、

日常から離れることへの不安もある。

今、ニュースでは東北で起きた地震について報じられている。

状況が少しずつしか明らかにならないことに対する不安もある。

ふと思いが飛躍する。

自分が日本を離れている間に、さらに大きな天災が起きたりはしないだろうか?

そういえば「自由と規律」の著者である池田潔氏のエピソードだったと思うが、

(おそらく、という曖昧な記憶で申し訳ない)

彼と彼の兄がイギリスに留学中に関東大震災が起きた。

今ほど情報の伝達が発達していない頃のことで、「日本沈没」などという

大げさな情報までが流れたりもした。

家族の安否など全くわからないまま、不安を抱え肩を寄せ合って日本へ向かう船の中、

兄弟は

「もしも日本について家族が無事であったとしても、大勢の亡くなった方がいるのだから

人前で大きく喜び合うのは止めよう」

と語り合ったのだそうだ。

ささやかだけれど心に残るエピソード。

自分たちの不満や不安を自分ひとりでは抱えきれず、他人のせいにし、

他人を理不尽に傷つける、そんなことが珍しくなく起こる現代社会で、

周りの人たちを慮るというそんなごく当たり前であった気風は見る影もなく薄れている。

そんな社会に生きることで人は不安をさらに増幅し、心を病んでいくのかもしれない。

それにしても池田兄弟の家族は無事だったのだろうか?

ニュースを聞いているとなんだか不安で泣きたくなるような不安定な気持ちになる。

地震の被害がこれ以上広まらないことを心から祈りながら、

日本を離れます。

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2008年6月 1日 (日)

まいご3兄弟

たくさん書きたいことがあったはずなのに、ほやほやと毎日を過ごしているうちに

どんどん時間が過ぎて書く時機を逸してしまう。

これもまさにそんなものの一つなのだけれど、

2007.10~2008.03まで放送されたNHK朝の連続ドラマ「ちりとてちん」の

スピンオフドラマが7月に放送されることになった。

先日その製作発表記者会見があり、タイトルも明らかになったのだが、

製作スタッフが底抜けに楽しんでることを感じる。

なにしろタイトルが「まいご3兄弟」である。

この可愛らしいタイトルになっている3兄弟は以前「徒然亭の人々」で書いた

ドラマのヒロインの兄弟子たちで、たいがいいい大人である。

桂 吉弥、茂山宗彦、加藤虎ノ介の三人が今回の主役なわけだが、

そんな大人な彼らが大人気なく迷子になって、迷い込んだ民家での一晩の出来事が

物語の軸になっているとのこと。

なんだかそんな風に書くとちょっと御伽噺のようだけれど、きっと本編と同じように

笑いの中にも心を打つ物語が描かれているはずだと期待している。

それにしても、

ドラマに限らず映画、舞台、小説などなんでも、その物語を楽しめば楽しむほど、

ラストはどんな風になるのか気になるのと同時に、終わるのが寂しい。

終わったあと、物語の外に取り残されたような寂しい思いが強ければ強いほど、

もう一度その物語の中に身を置きたいという激しい衝動に駆られる。

スピンオフドラマというのはそんな衝動に答えてくれる企画ではあるけれど、

多分そのあとの喪失感はさらに大きいぞ…とちょっと覚悟も必要だったりもする。

そういえば、これは付け足しみたいなものだけれど、

実はNHK大阪放送局での撮影をほんの少しだけ見学してきた。

窓ガラス越しの見学スペースは何十人も集まり、かなりの熱気。

撮影はかなり奥のセットで行われているので、どちらかと言えば、モニター越しの

見学という感じだが、とても楽しそうな3兄弟の様子は伝わってきて、

時折その様子を見て、見学スペースでも笑いが起こったり、と終始和やか。

ただ撮影は結構シリアスなシーンだったので、ちょっと意外な展開にドキドキ。

物語以外のオプションでもなかなか楽しめてお得感のある今回の企画なのでした。

(勝手に楽しんでるだけなんですけどね)

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2008年5月 5日 (月)

700日戦争じゃなかった

一体何に対する挑戦なのか自分でもわからないけれど、

GW真っ只中、殺人的な混雑が予想される梅田の映画館へ出かけた。

相当な覚悟で臨んだ映画が「ぼくたちと駐在さんの700日戦争」だというのだから

能天気で間が抜けている。

この映画は元々はブログに書かれた、実話を基にした小説から生まれたもので、

1970年代、のどかな田舎町でのいたずら好きな高校生たちと、

彼らに真っ向勝負を挑み、公務員にあるまじき大人気ない逆襲をも厭わない

駐在さんとの戦いの日々を、実にバカバカしい能天気さで描いている。

ぼくちゅう『悪戯の定義』
 1.相手に怪我を負わせてはならない
 2.しかけられた相手も笑えなくてはならない
 3.相手が弱者であってはならない
 4.償いができなないものは悪戯ではない

これはブログに掲げられている悪戯の定義なるもので、

バカバカしいはバカバカしいなりに信念があって面白い。

それでも登場人物たちの、とにかく生き生きと楽しそうな様子と、

物語としての深みに欠けるのは覚悟の上だと言わんばかりに、

ひたすらカラっと明るい描かれ方は潔くて中々良いんじゃないかと。

そしてやはり真面目に可笑しい佐々木蔵之介が良いんじゃないかと。

最近ドラマでは、医者とか弁護士とか線の細いイメージの役柄が多くて

食傷気味だったのだが、久々に骨太でインパクトがあり、

そしておバカな蔵之介が見られて良かった。

700日戦争のはずが、映画で描かれたのは始まりから108日間の物語だったので、

もしかしたら続編の予定があるのかもしれないが、全く同じ趣で作るなら

二作目はちょっと苦しい気がしなくもない。

ところで、私個人のサプライズポイントは高校教師役のTEAM NACSリーダー森崎博之。

リーダーの声は相変わらず大音量でした…。

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2008年4月 5日 (土)

一気に春になる

ぼんやりとしすぎていたのかもしれないのだけれど、

気持ちも衣替えも中途半端なまま、気がつくと一気に春になっていた。

よくよく見れば家の近くにある桜は満開だし、父が心待ちにしていた野球も開幕していた。

ずっと以前はロッテファンだった父だが何故だか今は阪神ファンだ。

ヒートアップするタイプではないので父がテレビを見ている様子だけでは、

勝っているのか負けているのか全くわからない。

なので気になって時々一緒に観戦して、結局私のほうが熱くなったりもするのだけれど、

この間ちらりと阪神ー広島戦を見て驚いてしまった。

別にタイガースが連勝していたからではなくて、

今年広島から移籍してきた新井選手が激しいブーイングを受けていたからだ。

FA宣言をするという記者会見の席で、新井が泣いていたという記憶はあるけれど、

詳しい経緯は知らない。

恐らくそうせざるを得ないほどの事情と経緯があるのだとは思うけれど、

そのあまりの激しさに驚いた。

ずっと以前に通っていた美容室には相当な阪神ファンの美容師さんがいて、

彼と話しているといつの間にかタイガースの話になって、

いつもその熱さに巻き込まれてしまう。

そういえば彼は

「一度チームにいた選手はどこに移ってもずっと応援する」と言っていた。

チームを熱心に応援することで、個々の選手に対して「身内」と言うような情がわく、

そういう気持ちはすごくわかるし、私もそんなものだと思っていた。

だから新井に対する容赦ないブーイングにはやりきれない気持ちが残る。

もちろん様々な事情があって、ファンはファンなりに選手を愛した故のことだろうし、

金本にはなかった新井個人に対する納得できない思いがきっとあるのだとおもう。

だから別に応援しなくたってかまわない。

彼を打ち取ったピッチャーを賞賛して大喜びしたって良い。

でも彼は彼なりに複雑な思いを抱え、覚悟を決めてバッターボックスに立っている。

その真摯な姿にやっぱりブーイングはないと思う。

ブーイングしているファンの姿を見るのも辛い。彼らだって辛いはずだと。

もちろんカープファン全員がブーイングをしているわけではないし、

むしろそのことに胸を痛めているファンだっているはずだと思うのだけど。

とりあえず春だし、始まったばかりだし、色んな思いを内包して、すべてはこれから。

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2008年3月 9日 (日)

徒然亭の人々

「徒然」という言葉が昔から好きだった。

なんとなく手持ち無沙汰で、ほの寂しい感じ。

自分がそんな状態にあることが良くあるからなのかもしれない。

だから「徒然亭」という名前を聞いて、良い名前だなと思ったのが、

NHKの朝の連続ドラマ「ちりとてちん」を見た最初の感想。

「ちりとてちん」は何事にも自信が持てない、将来の道に迷うヒロインが、

大阪で上方落語と出会い、女性の咄家としての道を歩んでいく物語で、

彼女が出会うのが徒然亭草若とその一門。

彼らの一人一人がとても個性的で、それぞれのドラマを持っている。

落語の特性である人や古い時代の持つ独特の温かみが、物語の随所にちりばめられ

15分という時間が、短いけれどとても濃密で、思わず涙してしまうことも多い。

そしてもう一つ落語に関して言えば、

物語の中でたくさんの落語が出てくることで、落語の世界に対する新たな興味が

わいて、さわりだけで出てくる落語も随分楽しめる。

一番弟子役が本職が咄家の桂吉弥であることで、一門の落語の実力を

引き上げていることも大きい。

この五人の兄弟妹弟子たちの中で四番弟子の四草役が加藤虎ノ介なのだが、

この人は実は以前は別の名前で、MOTHERという劇団の若手俳優だった人だ。

初めて彼を舞台で観たのは十年位前で、

今よりずっと若くてややふっくらしているのに、かなりとがっていたという印象が強い。

五年ぶりくらいに見る彼は相変わらず目が鋭くて、2002年の劇団解散以来

一度も彼を見ていなかったし、思い出すことすらなかった私をして、

随分痩せて輪郭が変わっていたにもかかわらず、テレビの画面を見た瞬間に

「彼だ!」と思い出させるほどに変わらない。

彼を見つけたとき、なんだろうか?懐かしさもあったけれど、とにかく嬉しかった。

私たちが彼を見ることがなかった長い時間も彼は地道に活動を続け、

NHKの朝ドラにキャスティングされるまでになったのだということに、

ファンではなかったけれど何年も舞台を見続けてきた者としての感慨があった。

そして彼は四草という、無表情で口が悪くて常にクールな、それでいて底に

熱い思いを持つ男をとても魅力的に演じていた。

そして彼の素人ながら見事な落語を聞けば、彼がこの役を演じるために

どれほどの努力をしたかという事がわかる。

伝統芸能である落語は、どれほどの天賦の才があろうと、器用であろうと、

一朝一夕でプロとしての実力を得ることは不可能だと思う。

たとえ上手に演じることは出来たとしても。

もちろん彼の落語はプロのものではない。

それでもその演じる細やかさや独特のリズムはやはり見事といいたい。

そしてこれは彼以外の弟子たちにも当てはまる。

彼らの陰の壮絶な努力があるからこそ、面白く温かく優しい物語が

ドラマとしての深みを増している。

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2008年2月24日 (日)

死神の精度

死神の精度 (文春文庫 (い70-1)) 死神の精度 (文春文庫 (い70-1))
伊坂 幸太郎

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伊坂幸太郎の「死神の精度」が文庫本になっているのを見つけ、早速手に入れる。
彼の小説は続々と映像化されているが、
この「死神の精度」も金城武主演で映画化され、3月に公開されるらしい。
映画の宣伝が本の帯でかけられていた。
金城武はミュージックをこよなく愛し、人間の世界にいるときは
必ず雨に降られる死神の役だ。
ミュージックというキーワードが伊坂幸太郎らしい。
精度なんてものではない、適当な調査のみで、その対象の死を
「可」か「見送り」か決定する死神が、実に死神らしくない。
死神に持たれているごく一般的なイメージとは合わないのだが、
そのなんとも言えず身近なたたずまいが、
むしろ、多少変わった性格と特性を持った人間のように思えてしまう。
それが「床屋が髪を救わないように私も彼女を救わない」という言葉に表されるように
実に淡々とした仕事ぶりでありながら、徹底した非情さを感じない理由でもある。
物語の面白さは登場人物の魅力に左右される。
彼がとても魅力的な死神であることは間違いない。

それにしても
何故、表紙の写真がコンドルズの近藤良平(疾走する男たちのエルドラド)なんだろう?
木の上で近藤が傘を放り投げているのを、下からあおるように
写した写真で、彼の独特の飄々とした風貌は、
映画の彼よりずっと死神らしくて、ちょっと良い感じの表紙だ。
まあ、彼では映画にはならないだろうな。
私は多分観るけれど。

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2008年2月16日 (土)

アカデミーの夜

日本アカデミー賞というのはその選考方法の問題なのか、

関係機関の問題なのかわからないが、どうもその偏った結果に釈然としない

思いが残ることが多々あって、賞としての評価は私の中ではあまり高くないのだけれど、

イベントとしてはとても面白いと思う。

普段テレビではあまり見る機会のない映画俳優や監督などが一堂に会して

インタビューを受ける姿を見るのが楽しみで、毎年といっていいほど見ている。

ただインタビューの内容はあまりに形式的かつ画一的で、

引き出される内容には全く興味はわかない。

ただその姿の新鮮さを楽しんでいる。

しかし今年は少しだけ興奮度が高かった。

「それでもボクはやってない」の主演男優として、加瀬亮が優秀男優賞に

名を連ねていたからだ。

彼ををこの舞台で、しかも主演男優としてみる日が来るとは思わなかった。

この映画の主役が決まった時ですら随分驚いて興奮したものだった(加瀬君と周防監督

彼はとにかく出演作が多いので、全てを網羅するのは結構大変な作業になるが、

メインの役はそれほど多くない。

「それボク」はとても丹念に調べ、作り上げられた映画だという気がしたし、

誰にでも起こりうる問題としての恐ろしさが実にリアルで考えさせられもした。

とても良質の映画だと思うが、これから先の彼のキャリアの中で、

これが突出したものになるとは感じなかった。

それはこれからの彼への期待感でもある。

ただ、一つだけ昨夜のインタビューで印象に残った周防監督の言葉。

オーディションで加瀬を見た時この人しかいない、と思われたそうですね?

と問われたとき、「微妙に違いますね」と前置きをして

「あっ、主人公が来た、と思った。この人しかいない、じゃなく、主人公が来ちゃった

という感じでした」

もちろん本心でおっしゃっているのだろうと思うが、ただそれだけではなく、

監督という仕事はこんな風な言葉で、役者との心を繋いでいくものなのだな、

深く感じ入った。

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2008年2月11日 (月)

桜の花、舞い上がる道を

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昨日エレカシの記事をあげたついで、というわけではないのだけれど、

3月5日発売のニューシングル「桜の花、舞い上がる道を」のブログパーツが

エレファントカシマシオフィシャルHPにあって、シングル曲のビデオクリップの流れる前に

宮本浩次がコメントしているのがちょっと面白かったので貼り付けてみた。

「好きか嫌いかで言えば桜よりは梅の方が激渋」だとか何とか、

相変わらず自由な感じで話しつつ、桜という花に生きるということを重ねあわせる、

という至極ありがちでシンプルなテーマではあるけれども、きっとそれを彼らしい

音で表現してくれるんじゃないか、と期待させるような、懸命で誠実な口調で語っている。

いつもの身振り手振りを交えつつ。

期間限定ではありますが、しばらくブログに貼り付けて楽しむことにします。

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2008年2月10日 (日)

リッスントゥーザミュージック

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何故音楽を聴いているんだろうと考えることがある。

慰められようとしているのか、時間つぶしなのか、

ただ音楽を聴いている場合もあるし、音楽を通じて人を感じようとしていることもある。

全く理由はわからないのだけれど、

私は「聴きたい」と思うと、一曲だけをずっとリピートする癖があって、

好きなミュージシャンの楽曲でもまんべんなく聴かず、かなり偏る。

極端な例では、ギタリスト村冶佳織のアルバム「カヴァティーナ」は

表題曲の「カヴァティーナ」しかほぼ聴かない。

その代わり、10回でも20回でも繰り返し聴いたりする。

だから「音楽」という媒体を通しての何かを求めているというより、

やはりその音そのものに何かを求めているのだろうとは思う。

ところで、今年に入って一番聴いているのはエレファントカシマシの最新アルバム

「Starting Over」

エレカシのアルバムをじっくり聴くのはかなり久しぶりのことなので、ちょっと驚いた。

昔はもっと激しく攻撃的に、全身全霊をこめて叫び、問いかけ、投げ掛けるような

そんなイメージがあった。

私が知らないもっと以前には相当暴れて毒づいていたらしい。

もちろんそんなものばかりではなく、静かに語りかけるようなものも以前からあったし、

一概には変わったとはいえないかもしれない。

でも以前よりもずっと近いところで語りかけられている気がするのはなぜだろう。

10代から30代にかけてのそれぞれの時間でのそれぞれの思いが、

とても優しく繊細にかつ力強く語られている。

わかりやすい言葉で書かれているけれど本当のところはわかりにくい、

それが私にとってエレカシ宮本の魅力なのだけれど、テレビ番組などで表れる

彼の話の難解さは尋常ではない。

果たして相手の話を聞いているのか?と疑問に思われるほど、

問いかけにたいする答えがなく、自分の言いたいことをマシンガンのように話し続ける。

でもそれは自分の主張を無理やり通そうとしている押しの強さとは対極で、

相手にできるだけきちん伝えたいという思いが常に前のめりなので、

言葉が思いについていこうと、整理されないまま次々に投げかけられ、

本人にも収拾不可能になっていたりするだけに見える。

それは弱さでもある。

そしてその弱さが結構好きだったりする。

(媒体やインタビュアーによってはかなり落ち着いて整然とした話し方をする場合も

往々にしてあるので、リラックスしていると結構出来る人なんだね~という

意外な驚きを与えられてしまうことがあるのが面白いのだけど。)

今のヘビーローテーションは「リッスントゥーザミュージック」

でも「さよならパーティー」もとてもいい。

彼の壊れるようなファルセットは賛否両論あるみたいだけれど、

私は彼の声はかなり魅力的だと思う。

振り絞るような声も、突き抜けるような伸びやかな声も、

彼の攻撃性と内省的な側面との両極性の表れなのかもしれない。

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2008年2月 7日 (木)

思い立ったが吉日

かなり久々の更新なので、記事のあげ方すら忘れそうな勢いだ。

一体何ヶ月書いていないのかわからないくらいだけれど、

その間なにをしていたかというと、特に何もしていない。

あえて言うならmixiで日記を書いたりしていたせいでもあるかもしれないが、

mixiとこの場所では書く内容も書き方も違うので、それだけが理由でもない。

だから今日、急にまた始めようと思った理由も自分でもよくわからない。

でもあまり堅苦しく考えず、マイペースにやっていこうかなと思っている。

こんなに長く留守をしていたのに、定期的に覗きに来てくださった方もいらっしゃるのが、

申し訳なくもあり、ありがたくもある。

こんな私ですが、気長にお付き合い頂けると嬉しいです。

とりあえずは書きかけて放り出していたものの整理から始めることにします。

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2007年3月 4日 (日)

春宵一刻値千金

夕方から母と買い物に出かけた。

収穫はほとんどなかったが、目的の場所を見終わったらすっかり夜になっていた。

元町から車を駐車していた三宮まで、一駅分ふらりふらりと歩く。

今日は四月上旬くらいの暖かさで風も心地よく、夜とはいっても歩くのにちょうどいい。

春の宵のそぞろ歩きは、何とはなしに幸せな気持ちになるものだとしみじみ思う。

最近はなんだか良くない日々が続いている。

職場ではごたごたが収まらず、同僚の退職が決まり、悪い空気が払拭できない。

私にもPCが壊れたのに象徴されるような、小さなトラブルが続いていたのだが、

昨日は長く付き合っている友人と気持ちがうまくかみ合わず、悲しい思いをした。

どれほど長く付き合っていても、こんな風に驚くほどあっさりと壊れることもあるのだ。

それは思ってもいなかった出来事で、でも人との関係ではありがちな出来事だ。

どうにもならないことは どうにもならないままに やはりかなしい。

それでも気持ちの良い夜の道を、母となんでもない話をしながら歩いていると、

悲しいけれど、凝り固まった感情が少しだけ解けるような気持ちになる。

ほどけた分だけ我慢していたのに泣きたくなってしまったりもするのだけれど。

悲しい時はやはり空を見上げてしまったりするんだなぁと、歌の歌詞を思い出して

ちょっと可笑しい。

どうしようもなく遠いところまで視線をおくり、時間稼ぎをしているみたいな気もする。

そんな夜。

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2007年2月24日 (土)

脱PC生活

ある日唐突にPCが壊れてしまった。

なるほどそういう性質のものではあるだろうと納得してはいるのだけれど、

その唐突さに生活がついていかず、不便で物足りない毎日。

先日もラジオで流れた曲名が気になって、知りたいのだけれどすぐに調べられない

という歯がゆい思いをした。

それでもなくなってみて、あらためて感じることもある。

二週間後には帰ってくる予定なので、またゆっくり日記を上げようと思うけれど、

その時には、今までとは意識が少し変わっているかもしれないな、と思っている。

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2007年2月 6日 (火)

村上春樹とダンキンドーナツ

Vfsh0085_1私は読んだ本の食べ物の話ばかりしている…。

                      

                                                                                         

4062749041 ダンス・ダンス・ダンス〈上〉
村上 春樹
講談社 2004-10

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高校生の頃には村上春樹の小説を随分読んだが、 彼の小説を読むと、

決まってお腹が空いた。 登場人物がやたらに食べたり飲んだりしているのだが、

本当に美味しそうで、特にビール好きにはたまらない記述が多かった。

ビールには無関係の年頃なので(今でも殆ど飲めないけれど…)私の記憶に強く

残ったのはパスタとサンドウィッチとドーナツ。

実はその中で今でも気になっていることがある。

ダンキンドーナツだ。

確か「ダンス・ダンス・ダンス」だったと思うけれど、主人公が何度もダンキンドーナツに

通うシーンが出てきた。 ダンキンドーナツはアメリカから来たファーストフード店だが、

何故だかわからないけれど彼は頑なに通っている。

美味しいんだかそうでもないんだか、全く説明はないけれどそれでも通う。

彼がそこまで通うダンキンドーナツに私も一度いってみたいと思うけれど、

私は本物の店舗を見たことがない。

先日職場の同僚とダンキンドーナツの話になった。 彼女も村上春樹の小説で

記憶していたそうなのだが、 見たことがないのは関西に店舗がないせいなのか?

などと、二人で話した。

「是非一度行ってみたい!」と私が熱弁をふるったら、その彼女が写真の

ダンキンドーナツバッグをくれた。 アメリカンショップのようなところで見つけたそうだ。

使い道はそれほどなさそうなのだけど、とても嬉しい。

電車通勤にはちょっとむかない派手さで、職場に持っていって彼女に、

私の喜び度を伝えられないのは残念だ。                                                          

「ダンス・ダンス・ダンス」で心に残るシーンが一つあった。主人公の車の中で、

彼と深く関わることになった、年齢よりもずっと大人びていて生意気な少女が、

自分の力では如何ともし難い状況に、耐え切れずに静かに泣く。

彼はただ胸を貸してその姿を見守っている。

そんな場面だ。

後年ロバート・B・パーカーの「初秋」に、その状況も感情の流れも同じような

場面があるのを知って、がっかりしてしまったのだけれど、

でも確かにそれは心を打つ場面だった。

子供が不条理に傷つけられている、そんな状況には締め付けられるような痛みを

感じざるを得ないから。

そしてそんなときには誰かにただ胸を貸してあげて欲しいと思うから。

たとえそれが問題の解決の一助とはならないにしても。

ところでダンキンドーナツはアメリカでNO.1のドーナツショップらしいが、 日本では

1998年に撤退して、もう店舗はないらしい。

そして驚いたことに、アメリカではミスタードーナツはダンキンドーナツに

吸収合併されたという話。

ミスタードーナツであふれかえった日本で暮らしていると、何だか信じられないような

不思議な気がする。

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2007年2月 5日 (月)

靴に恋して

B0007YVW60 靴に恋して
ラモン・サラサール アントニア・サン・ファン ナイワ・ニムリ
エイベックス・マーケティング・コミュニケーションズ 2005-05-25

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神戸映画サークルの例会で「靴に恋して」(2002年 スペイン)を観た。

私はサークル会員ではなくてチケットを持つ友人について行っただけなので、

タイトルしか知らず、内容については全くの白紙状態。

スペイン映画であることすら知らなかった。

私が今まで観たいくつかのスペイン映画と同じように幾人もの多種多様な年代の

女性が出てくる。彼女たちには初めににシンプルな説明がつく。

黄色い靴を履く女 アニータ

偏平足の女 アデラ

小さな靴を履く女 イザベル

盗んだ靴を履く女 レイレ

スリッパを履く女 マリカルメン

それは単なる説明ではなく彼女たちの今を端的に示す、重要なキーワードでもある。

彼女たちはそれぞれの場所で、それぞれの事情を抱えながら、

それぞれの靴を履いて生活している。

それは靴に恋するなどと、やや甘い幻想を抱かせるような言葉で表現するには、

あまりに生々しく、そして苦い。

しかしバラバラな点で語られていた彼女たちの人生が交錯するとき、

彼女たちは変わり始める。新しい靴を履いて歩き出す自分に思いを馳せる。

履きなれた靴を脱いで、新しい靴を履くのは楽しみだけれど怖い。

果たしてこの靴は自分の足に合うだろうか。自分の今の姿に似合うだろうか。

私もいつの間にか彼女たちと一緒に考えていた。

自分に格別似合うと思っているわけでも、それほど気に入っているわけでもない、

ただ履きなれているというだけの、今の靴を脱ぎ捨てる事が出来るだろうかと。

彼女たちは一年後、新しい靴を履いて立っている。

それは全く今までと違う、新たなものである場合も、、新しいものに見えてその実、

以前と代わり映えしないものであったりする場合もあるのだろうけれど、

履き替えてみようと足を踏み入れたその瞬間に、確かにその歩き方は

全く違うものになっているのだろう。

そんな風に信じられる、希望に満ちたラストシーンが良い。

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2007年1月16日 (火)

ミント・ジュレップの誘惑

4101339112 きらきらひかる
江國 香織
新潮社 1994-05


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アイリッシュウイスキー、ピーチフィズ、キュンメル入りのジン、ミントジュレップ、

冷たいビール、シャンパン、オレンジの匂いの炭酸酒、キュラソーとトニックウォーター。

江國香織の小説「きらきらひかる」には、いくつものお酒の名前が次々に現れる。

そして登場人物たちは実に美味しそうにそれらを飲んでいるので、

読み進むほどに実際に飲んでみたい衝動が強くなる。

大学生の頃に初めて読んだ時、私は聞いたことのないキュンメルだとか

キュラソーだとかの単語が出てくるたびに、その言葉の響きが楽しくてワクワクした。

とりわけ心惹かれたのが ミントジュレップ

可愛らしくて爽やかな印象の名前のこのカクテルは、本書の中では

かすかに甘くすっきりとして強い、と説明されている。

レシピを調べてみるとそれはますますはっきりとわかる。                           

★ミントジュレップのレシピ★

コリンズグラスにミントの葉と砂糖を入れ、よくつぶす。

クラッシュドアイスをいっぱいに詰め、バーボン・ウイスキーを注ぎ、グラスの表面に

霜が付くくらいよくかき混ぜる。 最後にミントの葉を飾る。

ミントジュレップは、アメリカの三冠の第1冠としてケンタッキー州にある

チャーチルダウンズ競馬場で行われる、ケンタッキーダービーの公認ドリンクとして、

19世紀から愛されてきたカクテルなのだそうだ。

そんなエピソードにもますます心惹かれるのだが、とても大きな障害があった。

残念で残念で仕方がないのだけれど、私はとてつもなくアルコールに弱い。

どくどくと音を立てて全身を激しく血液が流れ始め、赤くなる。顔も、体も。

ちょっと笑ってしまうほどに。

周りが美味しそうにアルコールをどんどん飲んでいる時、私はせいぜい

ジュースだかお酒だかわからない、お茶を濁したようなカクテルを、

ちびりちびりと口にしている。

先日イタリアンのお店で飲んだロゼのシャンパンがとても美味しくて、一杯飲み干し、

調子に乗って白ワインも少し飲んでいたら、急に聞こえてくる音が遠くなって

体が崩れ落ちそうな感覚を感じて驚いてしまった。

それが酔っていたのだか体調不良だったのだか、いまだによくわからない。

でもとにかく強いお酒は無理だ。

例え自分の身の丈に合わないものであったとしても、

その言葉がとてつもなく魅力的に感じることに変わりない。

江國香織の小説には、楽しくて可愛い物にあふれた素敵な雑貨屋さんに

迷い込んだときのような、高揚感を与えてくれる言葉がそこかしこに隠れている。

本書のあとがきで作者は「ごく基本的な恋愛小説を書こうと思いました。」

と記していた。

「ごく基本的」

それをどのように定義してよいかわからないが、

この物語は私の持つ「ごく基本的」のイメージとは随分違う、ゲイの夫と

情緒不安定でアルコールを飲み続ける妻、そして夫の恋人を中心とした恋愛小説だ。

その設定だけを考えれば想像してしまう淀みが、この物語には全く感じられないのは

一体何故なのだろう。決して綺麗ごとばかりが書かれているわけではないのに、

不思議なくらい静かで澄んだ空気に満ちている。

「きらきらひかる」という美しいタイトル通り、きらきらとした宝石のような

言葉たちのせいなのかも知れないとも思う。

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2007年1月15日 (月)

片思い

Vfsh0075 友人の愛娘Sちゃんに会いに行く。

会うたびにどんどん赤ちゃんから女の子に変わっていく

Sちゃんは 1歳8ヶ月。

とっても甘えたで人見知りなので、ママにべったりだ。

私ともう一人の友人Mにご機嫌におもちゃを次々と

見せてくれたり、ボールで遊んでくれたり

していたかと思えば、 ママがちょっと飲み物を準備しに

階下へ降りると、 途端に不安になってしまうらしい。

「ママ、ママ、」と探し始めるSちゃんに

「ママ、どこかなぁ。すぐ帰ってくるから一緒に待ってようね~」

などとなだめる二人の大人。

とうとうママを探しておいおい泣き出す彼女を、おろおろとあやしていると、

ママのいない不安に耐えられなくなったのか、 「もう誰でも良い!!」という感じで

抱きついてきたので、 身も世もなく泣き崩れる彼女を抱っこする。

小さくてふわふわと柔らかいSちゃんを抱っこしていると

とてつもなく温かい気持ちになる。

ところがママが戻った瞬間、彼女はきゅっとしがみついていた手を離し、

体をよじってママ~と叫ぶ。

子供への片思いはあまりに切ない…。

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2007年1月 2日 (火)

はなしか稼業

4582763030 はなしか稼業
三遊亭 円之助
平凡社 1999-09

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落語は積極的に聞くわけではないが、人や古い時代の持つ独特の温かみを感じる、

そんな話は大好きで、テレビで落語の番組があると聞き入ってしまうことがある。

最近は少なくなったが、お正月にはよくテレビで寄席の番組を家族で見ていた。

そういうわけでお正月らしく噺家さんのお話。

三代目三遊亭円之助は昭和31年、三代目三遊亭小円朝に入門、朝三となる。

昭和40年に三遊亭円之助を襲名し、真打昇進。

彼の唯一のエッセイ集である本書は昭和55年に脳溢血で倒れた後、

リハビリの一環で書かれたものだから、恐らく震える手で時間を掛けて、

たどたどしく書かれたに違いないのだが、そんなことを全く感じさせない、

リズム感のある軽やかな文章で綴られている。売れない頃の旅回り、

そんな中で知る師匠方の新たな一面や、さりげなく心温まるエピソード。

お金がないくせにお酒が好きで、お酒の上の失敗にも事欠かない。

貧乏が故の苦労話もふと笑みがこぼれてしまうような話に転じてしまう。

そしてなんといっても、破天荒であったり、情けなかったり、変人であったりする

登場人物たちに対する、常に温かい彼の目線が心地良い。

本書には解説が載せられていて、これを書いたのも落語家であるが、

彼は本書について、円之助は落語とどのように関わり合っていたのか、人生とどう

関わりあっていたのか、自分の恥部を含めた己のコンプレックス、己の

社会とのリアクションを、一つも書いていない。落語家ならば語るべきだった。

と述べている。

確かに本書には全くといっていいほど、自分自身のことについて述べられていない。

エピソードの登場人物として書かれているのみで内面的なことには触れられない。

彼が脳溢血で倒れ、リハビリを始めることについても最後の一篇で語られるが、

それとても彼自身のことが中心ではなく、その際に親身になってくれた林家三平師匠に

ついて言及するところに中心を据えている。

その徹底した客観性は意識しなければ生まれないものだ。

彼が脳溢血に倒れ体の自由を失ったとき、落語家としての再帰について

楽観的であったとは思わない。

突然襲った雷の一撃のような病に、彼は恐らくこれまでのこと、これからの事含め

人生について深く深く思いを寄せたはずだ。

だからいくらでも書き得たのだ。彼の筆力を持ってすれば、全く違ったトーンの

ものになるにせよ、見事な物語になっただろうと思う。

けれども彼は全くそんな気配を微塵も感じさせない軽やかさで、

温かく面白おかしいエッセイを書いた。

私はそこに彼の噺家としての断固たる信念を感じて胸を打たれる。

「はなしか稼業」

タイトルがそれを物語っている。

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2007年1月 1日 (月)

新しい朝

新しい年が明けた朝はいつも神聖な気持ちになって、新たな決意をしたりする。

大晦日に夜更かしをして、少し遅めの朝。

大抵綺麗に晴れ上がっていて、明るい玄関に年賀状が届いている。

家族でお雑煮と御節を前に改まった挨拶をし、いつもよりゆっくり流れる時間がいい。

この日のためにあのせわしない年末の日々があったのかと思う。

一年の中でも特に大好きな朝。

それなのに夜になるとすっかりその新鮮さは失われて、

「お正月休みも後何日…」

などと指を折って数え、がっかりしたりする。                             

そんな不届きもののブログではありますが、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2006年12月31日 (日)

ご挨拶

五月の、何の予定もなかったぽっかり空いたお休みの日、

特にどうしようという目的もなく思い立って始めたブログ。

始めたはいいけれど何をどんな風に書いていいか、悩みながら常に手探り。

それでも感じていることを拙いながらも言葉にすることで、

漠然としていた感情を自分なりに整理し、振り返ることも出来た。

言葉で表現することの楽しさと難しさを改めて感じることにもなった。                

生来の怠け者で更新頻度も低かったけれど、それでも頻繁に見に来てくださる方、

そして時折コメントくださる方、そんな方々がいらしてくださったので、

独りよがりで始めたブログも緊張感を失わず続けることが出来ました。

本当にありがとうございました。

来年も細々とではありますが続けていきたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

もうすぐ除夜の鐘が聴こえます。

皆様どうぞ良いお年をお迎えください。

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2006年12月25日 (月)

追われる

Vfsh0062 せっかくの平日休みに、年賀状書きに

追われている。

どうして毎年のことなのに、いつもいつも

ギリギリになってしまうんだろう?

元旦には必ず着くように、暇な時間をこまめに

見つけて頑張ります。

ああ、もう出かける時間が来る…。

こんなことしている間に書いたらいいのに…。

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2006年12月18日 (月)

鼻のこびと

4924330485 鼻のこびと
ヴィルヘルム ハウフ Wilhelm Hauff Lisbeth Zwerger
太平社 1999-06

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リスベート・ツヴェルガーの絵が好きでこの絵本を購入した。

彼女はウィーン在住の国際的評価の高い絵本画家だが、日本でも人気が高い。

原画展が2002年に京都の駅ビルで開催されたときも、随分盛況だった。

彼女の絵はとても好きなのだが、実は私は彼女の描く人間の目が少し怖い。

絵本とはいえ可愛らしいだけの絵では決してない。

それでも彼女の絵は繊細でとても優しいと思う。

この「鼻のこびと」では主人公の少年ヤーコプが魔女に姿を変えられ、

両手に余るほどの太くて長い鼻、首がなく肩に頭がくっつけられている。

滑稽ではあるけれどなんともいえない可愛らしさで、その派手ではないけれど

鮮やかな赤の色使いが印象的だ。

異形の者と言っていいのだろうか。

絵本には人間以外の不可思議なものが数多く出てくるが、彼女の描く

そんな彼らはほのぼのとした温かみとよるべない哀しみをたたえている。

その温かさのせいだろうか。読む側の私たちは、その哀しみを

異形であるが故のものではなく、私たちと同じ哀しみとして感じることが出来る。

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2006年12月17日 (日)

空の魅惑