「神戸新聞の7日間」というドラマを見る。
あの大震災の日、壊滅的になった神戸の街で、全く機能を失った神戸新聞社が
「地元新聞社としてなんとしても新聞を発行する」という使命感のもと
幾多の苦難を乗り越えて、あの瓦礫の中、一日も休むことなく新聞を発行し続けた。
入社4年目の若手カメラマンだった三津山記者の視点から作られたドラマと、
実際の資料映像、そしてその時にその発行に携わった人々の15年目の
インタビュー映像を交えて番組は進められていく。
正直に言ってしまうが、私はそれほどこの番組が見たかったわけではない。
私にはこの震災に対して負い目がある。
神戸に生まれ育ち、今も神戸で生活しているが、この震災の時私は、
大学のある大阪に住んでいて神戸にいなかった。
それまでほとんど地震らしい地震を経験したことのなかった私は、
震度3の地震で飛び起き、あまりの恐さに神戸の実家に電話をかけた。
テレビでは大阪近辺の震度は発表していたが神戸にはまるで触れていない。
「すごく恐かった。本棚から本が落ちてきたし食器もガチャガチャなってたよ」
そんな他愛も無い報告をしてまた眠るつもりだった。
電話はつながらなかった。
理由がわからないまま、いつまでたってもつながらなかった。
時間がたち、テレビで少しずつ情報が流れ始めて、
神戸にとてつもない大きな災害が襲ったことだけはわかったけれど、
知りたい詳細な情報は全く入ってこない。
私は狭いワンルームのマンションの部屋で、テレビで流れ続ける
上空から撮影された見たこともなく崩壊した神戸の街の映像を見ながら、
かかるはずの無い電話をかけることしか出来なかった。
恐くて孤独で不安で、それでいてとてつもなく現実感が無かった。
家族の無事を知ったのはその夜12時を過ぎてからだった。
安堵して、そして泣いた。
それでもやはり今起きていることが現実だとは、どうしても実感できなかった気がする。
私がその後神戸に帰ったのは震災から3ヶ月も過ぎたあとだった。
家は外観だけでもすでに無残な姿になっていた。
白い外壁には大きなヒビが幾筋も入り、門柱は嘘のように分断され、
門から玄関へと続く階段はひび割れ、ところどころ崩れ落ちている。
そして玄関は若干歪んでいて、もはやその役割をなしているのか疑問だった。
家の内側は見なくても推して知るべしだ。あまりに切なくて胸が痛かった。
それでも家族は無事だったし、火事で全てを失ったわけでもなかった。
家は建て直さず、修理だけで何とかその姿を取り戻した。
私たちはとてもとても恵まれていたのだと思う。
街では至る所で途轍もない悲しみと苦しみが渦巻いていたし、
街を歩けばその痛々しさに胸がつぶれるような思いをしていたはずだ。
けれども私は、あの震災の尋常ではない数々の被害のほとんどを、
テレビや新聞など様々な媒体を通してしか知らない。
その申し訳なさが、私の負い目になっている。
だから震災を扱ったドキュメンタリーやドラマなどを見たり聞いたりすることを
どうしても避けがちになったまま、15年がたった。
このドラマを見たのは偶然だ。
でも、あるインタビューを見て目が釘付けになった。
神戸新聞の当時の記者や編集者という関係者たちの中に、
入社一年目の唯一の女性カメラマンがいた。
小藤と言う名前に聞き覚えがあった。
小学校の同級生だった。
特別親しかったわけではない。一度か二度遊んだ記憶があるだけだ。
でも彼女の名前と顔は覚えていた。
その時私の心にあったのは懐かしさではなく衝撃だった。
彼女が経験した苦しみも悲しみも葛藤も、もしかしたら自分にもありえたかもしれない
それだったという事実が、唐突に現実味を帯びて胸に迫った。
ドラマの中で記者たちは、地獄のような状況の中で、悲しみ苦しみの渦中にある人々に
カメラのレンズを向け記録していくことのためらいと、それでも記録していかなければ
という使命感と、そんなことをする意味が本当にあるのかという葛藤を抱えながら、
街を駆けずり回っていた。
この突然に襲い掛かってきた災害によって思ってもいなかったほどの
悲しみや苦しみを受けた人々の思いを記録していくことが新聞社としての使命なのだと
そう言った編集長の言葉は恐らく一つの真実なのだろう。
人はそれぞれの立場で真実と信じた信念を持って行動するしかないから。
それぞれの立場での真実も信念も人の数だけあるとしても。
数々作られるこのようなドキュメンタリードラマで、実際に経験しなかった人たちの記憶を
風化させないことは確かに大切なことなのだろうと思う。
実際に経験した人たちの悲しみを風化させていくことが大切なのと同じように。
痛みというものは実際に経験しなければどうしたって他人事だけれど、
もしかしたら自分にありえたかもしれないと想像することで痛む胸に多くのことを学ぶ。
それでも
やはり同じだけの気持ちで思う。
風化することに逆らうことはないんじゃないかとも。
何が正しくて正しくないのかはわからない。
唯そんな気がしてしまうだけだ。
人が生きることには悲しみが必ず付随する。
未曾有の大災害がもたらす凶暴で不公平で不条理な悲しみも、
個人がそれぞれに抱える、自らの力では如何ともしがたい理不尽な悲しみも
生きるうえではありえることだと同じように諦めるしかないだろうと。
だから世間にすでに曝されて周知の悲しみを、幾度も幾度も掘り起こすようにして
記憶として刻み続けるようなことになんとなくためらいがある。
普段はなんでもなく過ごしていても
唐突に、叫びだしでもしないと抱えきれないようなやりきれなさに襲われる瞬間を
多くの人が胸に隠し持っているはずだ。
個人的であるからこそ、他人には決して語れない思いを。
だから一つ一つのエピソードに触れて思わず声を漏らして泣いてしまうほど
悲しくて胸が痛んだとしても、
語ることで伝えることで記録して記憶に残す悲しみに違和感が消えないのかもしれない。
だからといってこのようなドキュメントドラマのような番組が作られることの意義を
全面的に否定していることでは決してない。
何十年かぶりに見た同級生の姿が私に色々な思いを与えてくれた。
彼女が今どうしているのかはインタビューだけではわからなかったけれど、
どうぞお元気で。そう伝えたい気持ちになった。
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